タイムセール・コール
「そろそろだな」
僕の隣に立った先輩が、普段は聞けない真剣な口調で声をかけてきた。
時は買い出しピークをすぎたころ。所はバイト先であるスーパーバンビの鮮魚コーナー。
先輩との関係が悪いわけではないのだが、今の僕には言葉を返す余裕がない。このスーパーにおいてバイトが一度は経験するタイムセールの告知放送に向けて、その原稿を覚えているところだ。一言一句違えず正確にする必要はないのだが、初めてということもあって念入りに頭の中で反復している。
店内に限るとはいえ、多くの人に聞かれる告知を自分が行うのだ。それなりに責任もあるし緊張だってする。
見ているだけで分かるレベルだったのか、先輩は心配そうにこちらを覗き込んできた。
「……気ぃ張りすぎじゃね、お前?」
「人前で話すの、苦手なんですよ」
「人前とかいう問題でもないような気がするが……まぁ、暗記した方が楽っちゃ楽か」
興味をなくしたように、先輩はそっぽを向いた。どうやら、僕という頼りない後輩の様子を見るついでにサボるという目的があったらしい。何をするでもなく突っ立っている先輩は、かなり暇そうだった。
ただ、制服でもあるエプロンのポケットに「50%オフ」のシールが束になって入っているあたり、一応タイムセール中には手伝うつもりがあるらしい。
「すさまじい忙しさになるからな」
「……祭りみたいなもんですしね」
適当に返すと、先輩は呆れたように首を振った。
いったん脳内復習をやめてそちらを見る。先輩は周りに目を向けながら、素っ気なく言葉を返してきた。
「タイムセールを祭りって言えるのは、かーちゃんにくっついて買い物に来てるやつだけだな」
「実家通いですみません」
「まー、この仕事すれば祭りって言葉は戦いに変わるだろーけどな」
「……はぁ」
あまり実感が湧かない。
スーパーであれば夕飯前の時間帯が一番混みやすいのだが、そのピークもすぎた今、戦いなんていう雰囲気は全く漂っていない。皆無だ。
そもそも店内にいる人間自体が少ないのだから──と高をくくっていると、周囲はにわかに騒がしくなってきた。
指示された時間の、二分前。広告も出していない小規模のタイムセールだというのに、場の空気と──おそらく先輩がエプロンからチラつかせているシール束に目をつけたらしい主婦たちが、それとなく僕らの周りで買うつもりもない商品を物色している……
そんな風に見えてしまうのは、僕の考えすぎなのだろうか。
「ほら、時間だぞ」
ニヤニヤ笑っている先輩に小突かれ、僕は店内放送用の小型マイクを握る。レジの応援を呼ぶときにも使っていたはずなのに、その存在はどこか頼りない。それこそ武器も持たずに戦場へ投げ込まれたような感覚だった。
一挙手一投足を見られている。いま、買う気もないものを持っている客は一人もいなかった。
意を決する。原稿をざっと思い返してから、マイクのスイッチを入れた。
『本日はご来店いただき、誠にありがとうございます。ただいまより、鮮魚コーナー──』
一斉に動き出したお客様の群れを前に、僕は原稿を暗記しておいてよかったと本気で思うことになった。