中二病患者の戯言
突然のことで申し訳ないが、俺の兄は頭がおかしい。
生まれつき、というわけではない。あの「意味のわからなさ」はおそらく後天性のもので、ある意味では多くの人によく知られている病気の一種だろう。
問題はひとつ。
誰もが通る道であるというのに、迷いに迷ったあげく通常の道から九〇度折れ曲がった方向に全速力で進み始めてしまったことだ。
つまるところ。
「相変わらず元気そうだな、弟よ」
致命的に中二病をこじらせている、ということだった。
症状はその容姿にも表れていた。肩を通り越すところまで伸びた黒髪は、白い包帯に隠された右目をさらに上から覆っている。口元には不敵っぽい笑みを浮かべ、演技がかった口調は素であることを疑ってしまうほどに「いつも通り」だ。クソ暑い真夏だというのに、足首まであるロングコートをまとって平然としているあたり、そろそろ人間を卒業していそうで、少なくとも一般人とか常識人という範囲からは卒業している。
なにせ、中二病を具現化したような男(遺伝学上兄)は、我が家の上で仁王立ちしていたのだから。
「…………」
二階建て瓦屋根の、日本ではごく一般的な一軒家である。
不安定な足場に怯むこともなく、兄は腕を組んでこちらを見下ろしていた。背後には、愛車であるライムグリーンの自転車も停めてある。近所の皆様に気づかれていないことを祈ろうかとも思ったが、こいつの奇行を今更気にする人もいないだろう。たぶん。
「……ふ。この町も変わりないようだな。風が穏やかだ。ダークネス・パラノイドの脅威も去ったか」
「なんで帰ってきてるんだよ」
終わりのない中二発言に付き合う理由は特になかった。
自分でも険悪な声音だと思ったが、しばらく離れて暮らしていただけ、耐性が減っているのかもしれない。
「慣習的に、魔法学園は九月から学年が始まるからな。夏に家に帰るのは当然だろう」
「だからその『魔法学園』ってのはなんなんだよ……!」
意味不明な中二発言も、ある意味いつも通りだった。
これでなぜかロシアの高校に留学しているというのだからタチが悪い。日本語が「コレ」なくせに英語もロシア語も操る謎の多才さを発揮しているのだ。才能の無駄遣いというか、才能を無駄にしている感じがさらに腹立たしい。解せない。
「お前は知らなくてもいい世界のことだ。気にするな」
「あーもう分かった。自分の世界に帰ってくれ」
対処を諦め、玄関扉に手をかける。こいつと話してもこちらの精神力が削られるだけだと気づいたのは、もう三年も前のことだ。
鍵を開け、ドアノブを下ろしたところで、
「……マズいな」
ぼそり、と屋根の上から声が落ちてきた。
「風が……騒がしくなってきた」
無視を決めこむ、つもりだった。
しかし、その直後に本当に突風が吹いたとしたら、思わず視線を上げざるをえない。
支えのない兄が降ってくるのではないだろうか、とも思ったが、落ちてきたのは真っ白な包帯だった。右目に巻かれていたものだ、と気づくことにすら数秒かかる。
「ライジング・フリー、システム・シフト。ゴッド・ブレス・ウィング──少し急ぐぞ、嫌な予感がする……!」
声に次いでもう一度発生した風は、屋根の上を中心にしていた。飛び降りてきた兄は自転車にまたがったまま家の前の車道に着地。あらわになった右目を黄緑色に輝かせ、自転車の後輪に白い翼を生やして立ちこぎの姿勢に入る。
「……は?」
「家の中にいろよ。町が安全とは限らない……!」
言うがはやいか、兄がペダルを踏み込む。矢か弾丸を思わせる初速で走り出した自転車は、わずかに黒煙を残して去っていった。
眩暈すら感じる。
中二病患者の戯言が、現実になろうとしているようだった。