愛犬家の贅沢な悩み

 禁断症状。

 怪しげな四字熟語がぼんやりと思い浮かんでくるほどに、俺の手はぶるぶると震えていた。意図した動きなんかではない。そんな生易しい発想なんて、はなから否定されそうな震え方だ。

 病的だなあ、とは自分でも思っている。けれど、譲れないもののひとつやふたつ、誰でも持っているのが人間だろうとも思う。その譲れないものが、自らちょっと変わろうとしてしまっただけで、俺がそれに対応できなかったから情けなくぼんやり寝転んでいるわけだが。

 ベッドの上で横向きに寝た状態で、投げ出した右手を見つめる。小刻みに震える筋肉の動きを自覚しながら、自分の意志とは関係のないところでぶるぶる動く右手を見るのはなんだか気味が悪かった。

 自分の体が思い通りに動かない。というか、勝手に動く。これが全身にまわってしまったら、どうなるんだろうか。病院送りにはなりそうだが、正直この禁断症状の原因は赤の他人にほいほい教えたくない。主に俺の社会的な立場に危険が及ぶ。

 幸か不幸か、今日は大学も休みだ。しばらくは部屋でのんびりしていても問題ない。

 目を閉じて、震える手をどうにかしようと意識を巡らす。要は腕の支配権を取り戻せばいい話だ。なんか中学二年生っぽいが──

 邪竜よ鎮まれ、と脳内で棒読み独白してみると、ぽすりと右掌に懐かしい感触。ふかふかの柔らかい毛並みが収まった。

 光の速さで瞼をあげる。禁断症状はすでになくなっている。代わりに右手の上に乗っていたのは、心配そうにこちらを見つめる美少女のツインテールの片方だった。

 文字通り手の届く距離で、目が合う。

「────っ!?」

「大丈夫ですか? 調子悪いんですか?」

 疑問符を連発する少女に対し、俺は言葉を発する余裕もない。禁断症状自体は治ったのだが、それに対する罪悪感のようなものがないわけでもない。

 まぁ、それはもちろん、かわいい女の子に心配されて悪い気分にはならないだろう。茶髪のツインテールはボリュームたっぷりのふかふかした手触りだし、キャラメルカラーの瞳だって小動物的な愛らしさがある。感情表現は少々過剰なところがあるが、全体的に幼い彼女に限ってはむしろ好印象を与えているような気がする。

 友達と呼ぶのもはばかられる知り合いのロリコンは大歓喜だろう。絶対に合わせないが。

 なにせ、この少女。

「ご主人様に何かあったらモコ、どうすれば……」

「あ、あー、うん、大丈夫だから。ちょっと疲れてるだけだから、うん」

 犯罪臭を漂わせる(この場合、容疑者は俺である)発言を恥ずかしがることなく堂々と言ってのけるのだ。

 だがしかし一つだけ弁明をするとすれば、俺はロリコンの言う「イエス・ロリータ! ノー・タッチ!」の禁を破ってしまうどうしようもない変態というわけではない。ロリに触らなければ禁断症状が出てしまうなんていう体質になったら、俺は今すぐ首を吊る。いや、似たような状況には陥っているのだが。

 右手で少女の髪に触れながら、想う。

 腕の中に収まるちいさな体を。全身で感情を表す必死な姿を。

 その姿は、確かに目の前の少女に通じるものがあったが、決定的な違いがひとつだけ。

「わかりました。ご主人様が元気ないなら、今日はモコがご飯作りますね!」

「……はい?」

「一回食べてみたかったんですよ、たまねぎ!」

 ばっ、と勢いよく立ちあがると、少女は意気揚々とキッチンへスキップ。がさごそとそこらじゅうを探りだす。

「ちょと待……」

「好き嫌いはダメですよー。たまねぎにだって、なんかすんごい栄養素とか入ってるんですから。たぶん!」

 せめて調べろよ! というツッコミは理解されなさそうなので飲みこんで、慌ててベッドから起きあがる。少女が嬉々として並べているのは、たまねぎ、スナック菓子、チョコレート、夕飯予定の鶏肉、冷凍食品のいかめし……と、カオスではあるが共通点のあるラインナップだった。

 俺がモコに絶対与えなかったシロモノたちである。

「うーん、どんな味がするんでしょーか……とりあえずレンジでチンすれば食べられますかね?」

「料理くらいは自分でやるから絶対食べるな……!」

「む、ご主人様。モコを侮らないでくださいよ」

 少女は胸を張るが、きっと自信を持っているのは料理の腕ではないのだろう。

 たまねぎやらチョコレートやらいかぐらい、自分でも食べられると言いたいのだ。

「モコは、もう人間なんですっ! イヌじゃないんだからっ!」

 スナック菓子は袋ごと、チョコレートは銀紙も外さずにまとめて電子レンジに投入しようとする少女を止めながら、思う。

 こんなことならトイプードルのままでいてほしかった。