ボルシチ戦争

「これは……!」

 黒髪隻眼の青年は、あらわになっている片目だけを見開いて「それ」を見た。

 食卓の上に置かれた、少し深みのある皿。その中に盛られた液体には、溶けきらなかったレトルトスープの粉のように沈んだ「具材」が見える。表面には水分を多く含むもの特有の光沢があるが、その色が原因で「みずみずしさ」よりも「毒々しさ」を感じさせる原因になっている。

 ひたすらに赤い──否、赤黒いのだ。

「なるほど、聖人の血肉を食らい、ヒトならざる力を手に入れようとする黒魔術の一種か。ごく普通の料理として出すという方法はよかったが、オレの右目はごまかせんぞ……カネミツ」

「はいはいそうですね」

 何やら物騒なことを言っているのを無視して、カネミツと呼ばれた青年は手早くテーブルに夕飯を並べていく。

 スープとパンという、食べ盛りの青年たちには物足りなさそうなメニューではあるが、実際スープには大量の具が沈んでいるし、パンの中には挽肉が詰め込まれている。

 ボルシチとピロシキ。どちらも東欧の家庭料理である。

「神聖なる精神と肉体を持つものにしか、ライム・フィルバートは扱えん。力を手に入れるために聖人を食えば、オレは最速の相棒を失ってしまう……」

「この赤は血の色じゃねぇからなー、テーブルビートの色だからなー。肉が入ってるとしたら牛の肉だからなー」

「お前は牛ならば命を奪い、肉を食ってもいいって言うのか……!」

「お前はすでに奪われた命を哀れみ、肉を食わずに捨てるのが正義だとでも言うのか」

「いただきます」

 すさまじい切り替えの速さを発揮し、席について手を合わせる黒髪隻眼の厨二病青年オキツグ。それにも慣れた様子で、カネミツは「おう」と短く返して身に着けたエプロンを外した。

 元々料理に関する興味など微塵もなかったカネミツだが、異国ロシアでの寮生活を続けている内に自炊の必要性を痛感することになった。そうでもしなければ無駄に金がかかることになるし、その無駄な金は本来有意義に使うことのできた金なのだ。

 自分が全力を出したいことのために、そうではないことに力を裂く。それは、人間として生きていくためには仕方のないことで、当然至極のことで、必然だ。結果を見れば、遠回りすることが一番の近道であったりするように。

 それほど稼ぎもない一学生が、考えなしに加工食品ばかり買えるような時代ではないのだ。

 ──それを理解しているのか、いないのか。

「お前って意外と家庭的だよな」

 オキツグはスプーンを動かしながら呑気に言う。

「食費がバカにならないから仕方なく家庭的になったんだよチクショー」

 カネミツ自身、決して「料理のできる男」に引け目を感じているわけではないのだが、「料理することを好んでいる」と思われるのはなんだか癪だった。

 欲を言えば彼女とか妹とかに作ってもらいたいくらいには思っている。いっそのこと母親でもいい。決してマザコンではない、と米印付きで注をつけたうえで。

「つうか、お前は寮生活をおくるにあたって家事能力をつけようとは思わないのか」

「ふ、何を言っている。オレの右目にかかれば家電製品のひとつやふたつ」

「いや、やっぱいい。お前に任せるとなんか怖い」

 その右目で家電製品のなにを見るつもりなのか。

 取扱説明書を見てくれるならもっとも平和な結末になるのだが、十中八九、この男は説明書なんていう生ぬるいものを読んだりはしないだろう。

 作業短縮のため、「火炎放射器付きコタツ」(現在、危険物として学園に没収されている)と同じような家電風魔法改造でもやってみようか、とカネミツが考えていると。

「ときに、カネミツ」

「うん?」

 オキツグが真剣な口調で声をかけてきた。

 返事はしたものの、カネミツは特に聞く姿勢には入っていない。オキツグが真剣になることは、もちろん彼にとって重要なことなので、大抵──九割は厨二な(他人にとっては)よく分からない発言と考えていい。

 それをよく知るカネミツが、オキツグの言葉を真面目に聞くことはほとんどないはずなのだが、

「ボルシチと一緒に食うなら、ピロシキじゃなくてパンプーシュカだろう」

「挽肉入りピロシキが至高に決まってんだろ」

「パンプーシュカのニンニクの風味がだな」

 食卓の上で火花が散る。

 こと味覚に関しては割と趣味の合う二人だったのだが、「ボルシチの付け合わせ」という点においては当てはまらないらしい。

 元々、互いに一歩も退かない性質を持っているため、一度生じたいざこざは行きつくところまで至らなければ止まることがない。

 すなわち、

「よろしい、ならば」

「食ったあとで」


「「戦争だっ!!」」


 早食い競争と全身全霊の喧嘩──そして、始末書の執筆という一連の流れが終わるまで、彼らは決して止まらないのだ。