クリスマス・イブの朝は早い。
「メリークリスマス」
棒読みだった。
一切の感情のこもっていない、ただ言っているだけの「メリークリスマス」だった。
それはある意味──というよりは完全に書紀らしい口調だったのだが、状況が状況だけに心臓と精神衛生と血圧とついでに気味が悪い。状況を簡単に説明すると「休日の午前中に目が覚めたら近くに幼馴染(女)がいた」なんていう、ラブコメにあってもいいようなシチュエーションだったわけなのだが、書紀のテンションではホラーにしかならない。いや、ラブコメ的なテンションで来られたらそれこそホラーかもしれない。
睡眠欲その他もろもろの影響で、不快指数は留まることを知らずに上昇を続けている。そのことを言っても書紀が聞く耳を持たないことは明らかなので、代わりに問いを投げてみた。
「……なんでここにいる?」
普段よりかなり高い場所に見える書紀の顔は、憮然とした表情のまま首を傾げた。
「クリスマス・イブの朝九時に書紀である私が会長の自室にあがりこむことの、何が悪いの?」
どこかに一つでも悪くないところがあるだろうか。
「お前の自信はいったいどこからくるんだ」
「あなたのお母様が許可をくれたもの。嬉々として」
「…………」
敵は身内にいたらしい。
女が手を組むと面倒なことにしかならないということは分かっているのだが、ここの二人による連携は回避不可能と言ってよかった。幼馴染という腐れ縁が続いている限りは避けられない障害だった。ニヤニヤと笑っているに違いない裏切り者は、リビングにでもいるのだろうか。
さすがに書紀を前に二度寝を決行するほど警戒心がないわけではないので、仕方なく起き上がる。いまさら寝起きを見られても何とも思えないほどの腐れ縁ではあったが、それを言ったら向こうだってそうだ。わざわざ休日の午前中に寝起きを狙う必要はない。単なる嫌がらせの可能性もあるが。
しかし……かなりフライングしたクリスマス・パーティ、なんていう、学校行事らしくない学校行事を決行し、後始末を終わらせたあとの休みであることは、僕にも書紀にも共通している。疲れは確実に蓄積されているはずなのだが。
「不満そうね」
「当然だ」
冬の朝に布団から叩き出した罪は重い。
「私がせっかくデレに来てあげたっていうのに、冷めてるわね」
おおげさにため息をついた書紀は、肘にさげたハンドバッグに手をやって何かを探っている。
よく考えれば、私服姿を見るのも久しぶりだ。白いブラウスにチェックのミニスカートとタイツ。プライベートでは赤ブチ眼鏡をかけていることはすでに暴いたはずなのに、当然のように銀ブチ眼鏡をかけているあたり、何かよく分からない意地でも張っているのだろうか。靴はロングブーツなのだろうが、寒がりの書紀が冬の私服でスカートをはいているのは初めて見た。
クリスマスだからって気合いを入れるタチだったか……と、僕が疑問を抱いている間に書紀は目当てのものを見つけたらしい。ハンドバッグから取り出した小箱をこちらに放ってくる。
小ぶりのペンケースのような大きさの箱は、黒い包装紙と紺のリボンで包まれていた。落ち着いた色合いの中で唯一、「Merry Christmas」と書かれたシールだけがゴールドの塗装で輝いている。
よく考えなくてもクリスマスプレゼントだ。嫌な予感しかしない。
「開けていいのよ?」
書紀の薄笑いを見るに、今の言葉は命令形と受け取っていいだろう。最短時間で解放されるべく、大人しく包装を解く。
楽しげな様子、大きさ、重さ、形状からして、中身ならある程度予測できる。
そもそも、書紀が楽しそうに僕に渡してくるものなど、
「……伊達眼鏡、か?」
シックな包装紙の中から現れたのは、予想通り眼鏡ケースだった。開いてみれば、やはり予想通りの銀ブチ眼鏡。ただし、本来レンズが収まっているべき部分にはただのガラス板が入っている。
書紀の口の端がさらに上がる。
「そう。今度から、学校に当然のように眼鏡をかけてきて、『普段はコンタクトレンズなんだけどね』みたいなことを言ってもいいのよ」
「絶対に言わないし、絶対にかけないからな」
「私と会うときだけ、かけてもいいのよ」
「それが本音か」
書紀が眼鏡にかけている情熱は常軌を逸しているような気がする。
かけるかどうかも分からない……というか、かけない可能性が圧倒的に高い伊達眼鏡をわざわざ買ってくるとは。そういう性質なのは分かるのだが、そこに至る思考は理解できない。
いや、そんなことよりも目下の問題は、
「……なんだその手は」
「プレゼント。会長ももちろん用意してくれてるわよね?」
「面白くないジョークだな」
「……そっちこそ、面白くない冗談言ってくれるじゃない」
不意打ちでやってきた書紀にプレゼントを用意しているわけがなかった。
しかし、不可抗力とはいえクリスマス・イブの午前中に自室への侵入を許し、さらにプレゼントまで半ば無理矢理に受け取らされてしまった以上、不本意ではあるが何かしらを返さなければならないような気も……全くしないが返さなければならないだろう。
いつまでも「クリスマスプレゼントを受け取っていない」などと言われるのも困る。
「仕方ないな」
ため息まじりに呟いてから、ベッドを降りて立ちあがる。
首を傾げる書紀に、部屋を出ていくように手で示しつつ、
「買いに行けばいいんだろ? ……週末のクリスマスなんて、想像するだけで人酔いしそうだが」
「ちょっと、着替える前に眼鏡──」
「さっさと出てけ」
この後に及んで眼鏡を推してくる書紀を部屋から出すと、扉の向こうから「絶対に眼鏡かけなさいよ!」という捨て台詞のような何かが聞こえてきた。
応える義務はない。ないはずなのだが、書紀のそれよりも角ばったフレームの眼鏡を見ているうちに、書紀が自らの眼鏡を無理矢理僕にかけさせたときのことを思い出した。
あの時、あの瞬間の書紀の表情など、もう二度と見れないことは確かなのだが、もし次にその機会があるとしたら──いや、そんなことよりも重要なことならば、一つ。
「度付きの眼鏡よりはマシ、か」
独り言がただの言い訳であることを自覚しながら、僕は眼鏡を持ったままクローゼットに向かった。