ハロウィンナイト・クライシス
薄暗い街並みの中で、いくつものカボチャが笑っていた。
目、鼻、口の形に穴を開け、中身をくり抜いた、厚い皮だけになったカボチャたちの中でロウソクの火が揺れている。その度に影が動き、カボチャたちはころころと表情を変えていく。
ジャック・オ・ランタン。
ハロウィンにかかせないカボチャのオバケたちが──オバケたちだけが、夜の街で笑っていた。
人の気配は、ひとつもない。
路上にはお菓子のつまったカゴがあちこちに落ちていた。そこから転がった色とりどりのキャンディやクッキーを拾うものもいないし、それどころか、家々のリビングで湯気をたてる食事の周りにも人っ子一人いない。
ハロウィンのお祭りの途中で、唐突に街中の人が消えてしまったかのような光景が、月のない夜空の下には広がっていた。
それを見下ろす者が、ひとり。
「あっちゃー……これはなんか、ヤバそーな感じ漂ってるねぇ」
黒いケープをまとった少女が、火かき棒にまたがって宙に浮かんでいた。
十代半ばほどの、活発そうな少女である。
短いウルフ・ヘアーにした髪は茶色。人の消えた街を見下ろしてくるくると動く瞳は金色。両の目じりには星のペイントが描かれ、わずかに入ったラメが輝いている。
ケープの下は、スウェットの上とジーンズだった。家でごろごろしていたら急に呼び出されたので、とりあえず手早く着替えて出てきた、といった感じのコーディネートである。
はふー、うひゃーと声をあげながらきょろきょろと首を巡らせる少女だったが、唐突に、何かに気付いたように町から目を反らした。
星のきらめく、夜のとばりの中。
空気を叩く羽音がかすかに聞こえて、少女は首をめぐらせて背後に目を向ける。
強い光源のない夜空に大きな変化は見られなかったが、よく見てみればふらふら揺れ動きながらこちらへ向かってくる小さな影があった。
がむしゃらに翼を動かしているような不格好な飛び方をするそれは、コウモリだ。
傍目から見れば暴れているだけにも見えるような挙動で、コウモリは体をねじって少女のまたがる火かき棒にぶら下がる。翼についたかぎづめで、二度ほど顔を撫でてから、
「お疲れ様です、リリ・スタインベック。急な呼び出しへの応答、感謝します」
小さな牙をのぞかせて、コウモリは若い女の声で話した。
もっとも、コウモリ自身が人語を解して話しているわけではない。
コウモリはただの使い魔。主である魔女の声を、リアルタイムでそのまま「再生」しているだけだ。
「いやいや、いいんだよーう。あたし、暇だったし。こういうの苦手だから、迷惑かけちゃうかもしれないけど」
「不適正な人材を扱うことに関して、それなりの想定はしていますのでご安心ください」
「はう」
素っ気なく返したコウモリに対し、リリはオーバーに顔を反らす。
ハロウィンの仮装の方が「それらしい」ように見えるところだが、コウモリの主と同様、リリも正真正銘、本物の魔女のはずなのだが、
「だ、だって……儀式、するんだよね」
「施錠の儀、です。ハロウィンナイトですので、魔界の扉が開いている可能性が高いでしょうね。扉の位置を特定し、溢れ出た魔のものと吸い込まれた生者をあるべき場所に戻し、さらに扉を閉めて封印する必要があります」
「呪文は……」
「私がサポートします。あなたは陣を書き、扉が閉まるまでの間だけ向こう側から来るものを排除してください」
「おっけー。…………んー、あとで、もう一回、指示してくれるかな……?」
「あなたの記憶力はもとから信頼していませんので、何度でも」
「はうっ」
リリ、再度オーバーリアクション。
それをわざと無視して、コウモリは眼下の街に目を向ける。
人っ子一人いない、静かすぎる街。誰もいないはずの場所に、小さな音が合わさってうまれる──人でごった返した大通りから聞こえるような、雑然とした音がある。
気付いたリリも街へと視線を戻し、口を引き結んだ。
「──来ました」
コウモリは短く言って、火かき棒から足を放した。
同時、街に変化が訪れる。
風もないのに、木の影が揺れた。道に落ちた籠、庭の片隅にあるプランター、電柱、信号、看板、そして家の影すら、揺れた。
実体は少しも動いていないのに、影だけが動く奇怪な現象。その中で、中に火を灯したカボチャたちの影だけが停止している。
二次元的に地面の上だけで動いていた影だったが、それだけでは終わらない。やがて、三次元へと支配権を延ばそうとして、水面のように波打ち始めた。
「動きなさい!」
コウモリの一喝で、影に気をとられていたリリの肩が跳ねあがる。
即座に火かき棒の先端を街へ向け、降下。冷たい風が全身に叩きつけられる。
並走するコウモリが指示を飛ばした。
「影が実体に干渉する前に標的を撃破してください」
轟々と耳元で風が鳴るなか、声は不思議なほど透きとおって聞こえる。
「標的、って……?」
「ジャック・オ・ランタン」
コウモリの言葉の意味を、リリが飲みこむまで数秒かかった。
「扉が開いたことにより、彼らもそれなりの力を得ているようです」
続けて放たれた言葉ののち、地上で光を放っていたカボチャのランタンたちが一斉に上へ……リリとコウモリへ顔を向けた。
「────っ!」
その中で、大人のこぶしほどの大きさの火球が燃え盛っていた。
ロウソクを焼きつくし、さらにあふれた炎がいびつな歯の隙間からこぼれ出る。
「魔界の扉が開き、こちら側に影響がおよんでいます。早急に対処をしなければなりません。リリ・スタインベック、まずは最も影響を受けやすい、『魔界の存在をかたどったもの』──ジャック・オ・ランタンの殲滅から開始してください。私は扉の位置を特定します」
コウモリは平坦な声で言葉を並べる。
「タイムリミットはハロウィンが終わるまで。あと二時間です。三十分で一帯に置かれたジャック・オ・ランタンを破壊してください」
「っ、了解!」
地面まで残り数メートル、というところでリリは身をひるがえす。
火かき棒から体を離すと、落下速度はさらに速まった。杖代わりのそれを肩に担ぎ、アスファルトを陥没させながら着地。
リリの金瞳が光を放つ。
火かき棒が紫電をまとう。
「我が力となれ、暴虐の雷帝!」
短い詠唱ののち、雷をまとった打撃が火球を宿したカボチャと激突した。