召喚魔法
大通りを駆ける級友の背を確認してから、カイル・シェパードは後ろを振り返った。
石造りの橋の上、町の中でありながら遮蔽物のない空間で、追っ手と対峙する。
馬車がすれ違えるほどの幅ではあるが、利用者はそれほど多くないのが、この橋の特徴だった。
王都・ダグラスの内側(旧市街)と外側(新市街)を隔てる堀にかかる橋。新市街に住む一般市民が旧市街に行くことはほとんどなく、旧市街に暮らす王族貴族が新市街に行く機会はそれ以上に少ない。
橋の利用頻度は少ない。が、王族が通る橋でもあるから、一度に大人数が渡れる必要がある。
ある程度の広さを取れ、周囲への被害も軽減できる──王都内でもっとも戦いやすい場所とも言えた。
「最初から、ここで足止めするつもりだったのか」
感心しているのか、呆れているのか。
どちらとも取れない口調で、新市街側に立つ男が言う。
問いではないことならば、明らかだった。カイルが口を挟む隙も与えずに、男は続ける。
「頭が回るというか、手慣れているというか……生意気なガキだなぁ?」
相手の応えなど求めていない独白。その中に、少しだけ怒気の色が混じる。
肯定も否定もせず、カイルは薄く笑みを作った。
二人の間に沈黙が落ちる。男の後方、新市街から聞こえる喧噪と、馬車をひく馬のいななきが遠い。
「……道を譲る気は、ないんだよな?」
確認するような、男の問い。
「理由がない」
平坦な声音でカイルは答える。
「僕は背中を任された。だったら、その背を守るのが僕の役目だ」
「たかがトモダチ相手にそこまでするか?」
「頼りにされたら断れない性分でね」
坦々と語るカイルに対し、男は舌打ちで返した。
互いに、言葉を尽くせば相手は退いてくれるなどと考えてはいない。
言葉を交わすこと自体、無駄で無意味で無価値なことだ。
「後悔するなよ」
「後悔の度合いで考えれば、逃げるよりは死んだ方がマシかな」
男は苛立ちを露わに。カイルは変わらず無感情に。
言葉を交わすと、二人の右手は同時に動いた。両者共に人差し指を立て、男は堀を、カイルは足元を指差す。
次いで、魔力が二人に集まって橋上の風が乱れる。多分に含まれていた魔力という枷から放たれた空気は、勢いよく上昇。カイルと男の髪と服を揺らす。
意識と力を集中させるための「指差し」と、魔力が動いた際に生じる「上昇気流」──共に、魔法を行使する際の前兆だ。
魔力は人の肉体を通りすぎる時に、「摩擦」に似た力、法力を発生させる。
法力は術者によって操られ、その詠唱・イメージ・欲求に従って──異能を、具現する。
「〈来たれ。朝と夜を断ち、光と影を断ち、相容れぬ二つの間を断つもの〉」
「〈起きろ、船を噛み砕くもの。溺れる者のみならず、地上に立つ者をも引きずりこめ!〉」
カイルと男の詠唱。二人の指先から法力が放たれる。
足元に落ちる影へ。あるいは、橋の下を流れる川へ。
撃ちこまれた法力は、対象の中で停滞。
「〈汝の名は【夜闇の剣】!〉」
「〈汝の名は【猛き海龍】!〉」
名を付けられることによって、初めて術者に使役される。
橋の上ではカイルの影が、橋の下では流れる水が隆起した。
本来質量などないはずの影は、粘度の高い液体のような動きで立ち上がる。柄も刃も飾り緒も黒い【夜闇の剣】が具現。その柄を、カイルの右手が掴む。
同時、立ちあがった水の柱も、男の詠唱とイメージ通りの形となって橋を見下ろしていた。
人どころか家も呑みこんでしまえそうなほどの巨大蛇。顔の横には魚のようなヒレがあり、開いた口には牙が並んでいるが、その全ては水で形成されている。
突如発生した水龍に、男の背後、新市街から悲鳴。馬のいななきには興奮の色が含まれ、積み荷が崩れる音もかすかに聞こえてきた。
【猛き海龍】を従え、男は口の端を吊り上げて笑う。
「相性が悪かったな。影の剣で水は斬れまい」
「そうだな」
対するカイルは、手首を使って剣を回す。
不利な状況を肯定、しているにも関わらず落ち着き払った態度を崩さないカイルに、男が眉を寄せる。怒りではなく、疑問の表情。
答えを提示するように、表情が剥落したカイルが続ける。
「だから僕は水じゃなくて──術者(お前)を斬る」
言い終えると同時、カイルは踏み込みの一歩を炸裂させた。