KOLGA

 雲の上で、一匹の金魚が泳いでいた。

 パールシルバーの塗装を施された金属製の魚は、流線型の本体と複雑な曲線を描きだすひれを持っている。本体とひれはそれぞれ独立した別の部品で作られ、磁力によって接触することなく「繋がって」いた。特に華美な印象をあたえる尾びれ部分は、十を超えるパーツで構成されている。

 通常、水棲生物をモデルにしたシリーズ・エーギルの機体のひれは、金属の骨格に強化繊維の「被膜」を張って風をとらえる。これは機体に搭載された反斥力機能が不完全であるためで、機体の軽量化と浮力の確保が必要だからだ。

 つまり、被膜による浮力の確保をしていない金魚型の機体は、完全な反斥力機能を搭載したプロトタイプ──シリーズ・エーギルの中でも型番を持たない特別製。


 Series Aegir‐Project9 KOLGA(コールガ)


 『波の乙女計画』に属する九機の内の一機、「押し寄せる大波」の名を冠する番外機体だ。

 シリーズ・エーギルは有人機。ゆえに、コールガにもコックピットは存在する。

 位置はコールガの本体中心部。

 内部機構の隙間、広くはない……どころか極狭のコックピットで、機械音声が鳴っていた。


   周囲に友軍反応はありません_
   援護可能機を検索 ******完了_
   到着までの所要時間はおよそ一時間です_


「……運、ないなぁ。俺」

 シートにもたれ、コールガのパイロットである青年は小さく呟いた。

 いっそのこと、空でも仰いで現実逃避に向かってしまいたいところなのだが、青年の視線は前方に向けられたまま動かない。

 否。動かせない、と言った方が正しかった。

 真っ青な空、点在する雲。その間に、ざわざわとうごめく幾百もの黒点がある。

 青年が目にしているのは実際の風景ではなく、コックピット内部に映し出されたカメラ越しの映像だ。しかし、黒点がただのノイズであるとは考えられない。

 それを証明するように、右のモニタに映し出された敵機反応のカウンターが三二七を示して止まっていた。

 カウンターのすぐ隣には、最も近い敵機との距離が表示されていて──そちらは止まることなく減少し続けている。

 接触までの時間は八分。

 射程範囲に入るのは、もちろんそれよりも早い。

「プロトタイプだっつーのに……まったく」

 なんで近くに護衛機のひとつもないんだよ、と続く青年のぼやきは、コールガに搭載されたAIにしか届いていない。

 青年は、ため息を吐き出しながら、足の間から伸びる操縦桿を掴んだ。

 手になじむ、棒状のシンプルな形。いくら技術が進み、戦闘機の形が変わろうとも、パイロットのすることは変らない。

 機体を操ること。そして、相手を殲滅すること。

 それだけだ。

「戦闘を開始」

 青年が呟けば、コールガのAIが応える。


   コマンドを確認_
   待機状態を解除_
   これより戦闘を開始します_


 電子音声が告げると同時、コックピット内部は一変した。

 モニタに表示されるのは、コールガの本体から見える全方向映像。敵機残数と距離関係はウィンドウに小さくまとめられている。前方には、主砲の照準となる薄い円と十字が。

 コールガが戦闘状態に入ったことを確認すると、青年は右足を踏み込んでブースト。操縦桿を引いて一気に上昇する。

 黒点はモニタから消えた。しかし、相対距離を見てみると、距離の開き方は、コールガの移動速度に対してあまりに遅すぎる。

 ちらりと後ろを振り返ってみれば、数個の黒点が軌道を変え、ブーストの燐光を散らしながらこちらへ近づいてくるのが見えた。

 敵機は旧型。であるが、元々速度よりも火力を重視されたコールガが逃げ切れる道理はない。

 なにせ相手は、三〇〇を越える友軍の中から、特に追走が得意な機体とパイロットを選ぶことができるのだから。

 逃げ切ることは不可能。

「……だったら」

 撃破するしかない。

 三二七機、全てを。

 そして、敵軍を全滅させることならば──コールガには可能だった。

 青年の操作に従い、コールガは尾を振りながら反転。真下を向いて、追走する敵機に顔を向ける。

 先行して追撃をしかけているのは六機。その遥か下方で、ひとかたまりになっていた三〇〇の黒点が数個のグループに分かれてコールガの包囲を始めていた。

「コード・マギーア発動準備開始。頼むぞ、可能な限り急いでくれ……」

 頬を伝う冷や汗を無視して、青年はコールガにコマンドを入力する。

 瞬間、モニタ上に半透明のウィンドウが連続してポップアップ。インジケーターバーとパーセンテージが表示され、準備終了までのカウントダウンが開始された。


   コマンドを確認_
   これよりコード・マギーアの発動シークエンスを開始します_


 遅れて、AIが返答。

 インジケーターバーが青く染まりはじめ、パーセンテージは徐々にその数を増やしていく。

 青年は、視界の端でそれらを確認し、すでに形が分かるほどに接近していた先行部隊の一機をロック・オン。

 操縦桿のトリガーを引く。

 コールガの本体、額部分に埋め込まれた主砲が火を噴いた。

 モニタの中で、三角形に近い漆黒の亜音速機が熱線に貫かれる。

 鋼鉄すら即座に融解させる高温に、被弾した敵機は大破。それを皮切りに、先行部隊の残り五機がそれぞれ分かれて攻撃態勢に入った。


 多方向から目に飛びこんでくるマズル・フラッシュに、青年はたまらず操縦桿を倒す。

 熱線が左右を通り過ぎていく。ひれと本体が完全に分離しているコールガは、本体にさえ熱線が当たらなければ戦闘不能に陥ることはない。

 が、しかし。

 コード・マギーアを発動させるためには、たとえひれの一部分であろうと、たとえそれが飛行に必要ない部位であろうと、一撃の被弾も許されない。

「あと……一分かよ……っ!」

 モニタの表示に、青年が呻く。

 先行部隊の五機。加えて、後続する本隊が次々と熱線を撃ちだし、視界が赤く染まるほどの弾幕がコールガに襲いかかる。

 一対三〇〇の戦いとは思えないほど、余裕も容赦もない猛攻。

 それは、シリーズ・エーギル、ひいては『波の乙女計画』に対して敵軍が抱いている恐怖心を如実に表しているとも言えた。

 死と隣接した、息も詰まる状況。『今度こそ死ぬかもしれない』と青年が半ば諦めたとき……モニタ上で、パーセンテージが一〇〇を叩きだした。


   コード・マギーアの発動シークエンスが完了しました_
   エネルギーのチャージを行ってください_


「────っ!!」

 電子音声に応え、青年はシートわきのレバーへと左手を伸ばす。

 ──コード・マギーアは、『波の乙女計画』で開発された九機にしか搭載されていない、研究段階の兵装だ。

 超科学的なエネルギーを使用して初めて機能するコード・マギーア。それを発動させるには、パイロット自身が超科学エネルギー──魔力を有していなければならない。

 一度死の淵に触れ、生還することで得られる、「死後の世界に満ちるエネルギー」を。

「受け取れよ! コールガ!」

 青年は左手に力を入れ、吠える。

 モニタに表示されていたインジケーターバーは瞬時に青く染まり、「COMPLETE」の文字が浮かびあがった。


 即座に青年が左手を引くと、コールガの外装に赤いラインが走る。

 左右の胸びれ、背びれ、尾びれ。

 それらを構築していたパーツが、広がって円形を模り──一つの幾何学模様、魔法陣を作り出す。

 動きを止める敵軍勢に対し、青年は口元だけでにやりと笑みを浮かべる。

 展開された魔法陣の前には、すでにいくつもの火球が発生していた。

 ──コールガの名の意味は、「押し寄せる大波」。

 コンセプトは、不可避の弾幕。


   発動条件 COMPLETE_
   コード・マギーアを発動_
   これより殲滅を開始します_


 電子音声の宣告と同時、コールガ一機から放たれた幾百もの熱線が、漆黒の軍勢へと降りそそいだ。