スリップ×トリップ

「もう一度、繰り返します。これは現実です。そして、私のいた世界線では、二一八三年に始まる大戦で地球が滅亡の危機に陥ることも、事実です。未来を変えるには、時瀬海人(ときせ かいと)、あなたのいた二〇一二年が最も適しているのです」

 少女はまっすぐに僕を見つめて、抑揚のない声でそう言った。

 強烈な太陽光の下、熱されたコンクリートに囲まれていながら、彼女の顔には汗の一滴も浮いていない。

 それだけでも現実から遠いものを見ているような気がするのに、この少女、現在は西暦二一五四年だという。さらには、自分は二二〇三年から来たのだとか。

 ……さて、これは何の冗談だろうか。いつの間にか熱中症でバッタリ倒れて、その間に夢を見ているんじゃないだろうか。

 そんな風に考えてしまうのは、仕方のないことのように思う。

 しかし、フィクション染みたこのシュチュエーションは、滑稽なまでにリアリティを伴っていて。

 突き刺さる直射日光も、流れ落ちる汗も、周囲を行き交う人の喧噪も、僕に話しかける少女の髪の毛一本一本も、細部まで問題なく知覚できる程度には、現実的だった。

 ここが未来であること以外は。

「……えっと。僕はさっきまで学校にいたはずなんだけど」

 そう。僕はついさっきまで学校にいたのだ。夏休みであるにもかかわらず。

 というのも、教室の植木鉢に植えてある花の世話をすることになってしまったからだ。

 憂鬱な登校をして、花の世話が終わったと思ったら担任教師から開かずの教室の掃除を頼まれて、すこしドキドキしながら開かずの教室に入り──そこで、僕の記憶は途切れている。

 もしかすると、開かずの教室内に不可思議な何かが存在したのだろうか?

 ……いや、自分でもそれはないと思うけれど。

「申し訳ありませんが、あなたが時間跳躍をすることはあらかじめ確認していましたが、そのきっかけに関しては分析しておりません。故に、どのような経緯であなたが二〇一二年から二一五四年に時間跳躍をしたのかは、私は答えることができません」

 けれどもそれを大真面目に答えてしまうのが、目の前の自称・超未来人の少女なのだった。

 馬鹿丁寧すぎて、流暢なはずの少女の日本語はどこか片言に聞こえる。

「しかし、あなたは確かに時間跳躍をしています。それだけは理解して頂かなければなりません。無理強いをするつもりはありませんが、これはあなたのためでもあり、私のためでもあり、そして未来のためでもあります」

「跳躍してるのは、僕じゃなくて話の方じゃないかな」

「あなたからすればそのような知覚になるのかもしれませんが、繰り返して言うと、これは事実です。何度繰り返し、重ね重ねあなたが疑おうとも、これが事実であることに変わりはないのです」

「じゃあ証拠を──」

 出せよ、と言いかけたところで、僕はようやく少女が口を引き結んでいることに気がついた。

 唇を噛み、手を握り締める姿は、事務的に、機械的に語る敬語からは想像しにくい少女の弱さを露呈させている。

 一瞬、僕と少女の間に落ちる沈黙。

 のち、沈黙を破ったのは少女だった。

「証拠が欲しいのならば、いくらでも見せましょう。二二〇三年の日本へでも連れて行きましょう。しかし、そこはあなたの知る日本ではありません。あなたの知る世界ではありません。人は行き過ぎた力を持ち過ぎたのです。そして、それを戦争で振るってしまったのです。フィクションほどサイボーグは美しくありません。人体の改造は形よりも力を追求します。遺伝子の組み換えも同様。毒ガスの兵器は可能な限り敵国に恐怖心を与えられるように作られ──」

「わ、悪かったから……泣くのだけは勘弁して」

「泣いてなどいません!」

 突然怒鳴られ、僕は不覚にも肩を跳ねさせてしまう。

 数秒たってから、少女はハッとして口元を手で押さえ、失礼しましたと小さく言った。

 結局、彼女の声が感情を露わにしたのはそれきりで、

「私は……私が望むのは、あなたの協力、それだけです」

 少女は絞り出すように言う。

「お願いします。私に力を貸してください」

 胸の前で手を握り締めて。

 まっすぐに僕の目を見つめて。


「私のタイムマシンで二〇一二年に戻り──共に未来を変えてください」


 まっすぐに言われてしまったら、断れないのが僕の悪いところだった。