雷の日は彼女が可愛い。

 カーテンを軽くめくると、窓の外側では大量の水が流れていた。

 ホースで水をぶちまけられているような、文字通りバケツをひっくりかえしてしまったような、そんな窓ガラスだったが、もちろんホースやバケツが使われているわけじゃあない。

「酷くなってきたなぁ、やっぱ」

 大雨、というよりは豪雨である。

 ろくに外の景色も見えない窓から離れ、僕は頭の上に乗せたタオルに手をやった。

 折り畳み傘を開くのも面倒で、バス停からアパートまで傘もささずに走ってしまったのだ。割と強めな風も吹いていたので、ある意味懸命な判断だったはずなのだが、いかんせんこの雨。

 全身びしょ濡れになった僕は、風呂に入らざるを得なくなってしまったのだ。はやく愛しの彼女に会いたくて急いだのに、これでは本末転倒。意味がない。

 とはいえ。

「……だいじょぶか?」

 その彼女も、ソファの上で毛布をかぶってぶるぶる震えているのだが。

 それにしても──かわいい。

 水分を吸って重くなったタオルを適当にかけ、毛布の上から彼女に触れる。一瞬、ビクリと跳ね上がった体は、触れたのが僕の手だと分かると少し落ち着いたようだ。

 少しだけ。ほんの少しだけ顔を出して僕のことを見上げてくる。

 よほど怖かったのか、涙に濡れた目で。

 こういう時は、「ひとりにしてごめん」と思うと同時に、どうしようもなく、どうすることもできないくらいに「可愛い」と思ってしまう。ボキャブラリが足りないと言われてもおかしくないほどに、「可愛い」しか言えなくなってしまう。

 ……あぁ、「可愛い」という言葉は彼女のためにあるのか。なら仕方がない。

 なんて、潤んだ瞳に見惚れていると、僕の背後──窓の外から一瞬、強い光が差しこんだ。

 直後、毛布に絡まっている彼女が、さらに何かに隠れようとして僕の元へ。

 何も言わない口ではなく、動きで僕にメッセージを放つ。

 ──たすけて。こわいのがくるから。

「怖くないって、だいじょーぶ」

 ぐるぐる巻きの毛布の上から彼女の耳を押さえてやって、そこでようやく雷の音がこの部屋に届いてきた。

 だいぶ遠いな、と思いながらも、目はカーテンのかかった窓になんて向かない。

 小さな体を毛布で包み、僕にすり寄ってくる彼女だけしか見えない。

 いま、雷が大嫌いな彼女を、少しでも落ち着かせることができるのは、僕だけなのだ。

 毛布を踏まないように気をつけながら、僕はソファの空いたスペースに座る。

 彼女の頭を毛布越しに撫で、

「ほら、おいで」

 と言えば、彼女はすぐに体を預けてくる。

 ぴっとりくっついた毛布は、すでに彼女の体温で暖かくなっていた。ひとりで留守番している間も、この毛布を巻きつけていたのだろうか。

 外出は仕方がなかったとはいえ、ひっこんでいた罪悪感が表に出てきそうになる。

 嵐の日は国民の休日でいい、なんて思想を抱いてしまうくらいには。

 馬鹿馬鹿しい考えを振り払って、僕は毛布を軽く持ち上げる。きょろきょろと目を泳がせる彼女の顔に直接触れれば、湯冷めの始まった指先がほどよく温められる。

 その冷たさすら気持ちいいのだろうか。彼女は逃げることなく手に顔を乗せてきた。

 毛布よりも柔らかい毛が僕の手をくすぐる。思わず抱きしめたくなってしまうくらいに愛おしい──のだが。

 水を差すように、強烈なフラッシュが窓の外から差し込んできた。

 不意を突かれたらしい彼女は、甲高い声をあげて跳びあがる。その直後には毛布を頭からかぶっているのだから不思議だ。手慣れているとも言える。

 僕はといえば、なかなか複雑な心境だ。こんなに近くにいるのに、僕より毛布の方が防御力が高いと思っているのだろうか、彼女は。

 ごろごろ轟く雷鳴すらうっとうしく感じてしまう。

 そのくらい、妬ける。毛布相手に。

 ぶるぶる震える毛布の塊を見て、僕はなんとなく考えを変えた。というか、ストッパーを外した。我慢しないことにした。

 毛布の上から彼女を抱きしめる。抱えるのにも苦労しない小さな体は、僕の腕にすっぽりと収まってすぐに逃げ場がなくなってしまう。元より逃がすつもりなどないが。

 今更のように暴れだす彼女を押さえながら、毛布をめくる。

 露わになるのは、やっぱり毛布より柔らかい毛並みだ。その手触りを楽しみながら彼女を毛布から引きずり出せば、抱えあげるのは簡単。

 じたばた暴れる手足は無視して、毛布越しではなく直接抱きしめる。茶色い、もこもこした毛が僕の胸に収まると、どうしようもなく幸せな気分になった。

 それでも、やっぱり雷が怖い彼女の鼓動は少々せわしない。僕がいても不安は解けないんだな、と複雑な心境のまま、僕はソファに寝転がる。

 そうして彼女を──小さなトイプードルを抱えたまま、僕は少し眠ることにした。

 次の雷が鳴る前に、彼女の上から毛布をかけて。