生徒会長は眼鏡が似合う。
「どうしてあなたは眼鏡をかけていないの」
と、言われのない糾弾を受けたのは、授業も終わった放課後のことだった。
背中に西日を浴びながら、月一の頻度で開催される学校行事の資料をまとめていたところだ。
面倒事の上にさらなる面倒事。
文句の一つや二つを言っても、誰にも咎められないだろう。
が、しかし。まことに残念なことに、声の主は文字通りの腐れ縁で結びついた幼馴染だった。
またの名を書紀。
無論、本名ではないが、呼ぶほどの名でもないので書紀と呼んでいる。
というか本名で呼んだことなどほとんどない。
興味もないので無視していると、言葉は続けて降ってきた。
「容姿端麗、頭脳明晰、鬼畜外道で生徒会長なあなたが眼鏡をかけていない理由なんて、これっぽっちもないと思うのだけど、私は」
また意味の分からないことを言い出したな、こいつは。
「心外だな、僕のどこが鬼畜外道なんだ? 公明正大の間違いじゃないか」
「私は知っているわ。部費を提供したらその分の働きはするんだよな? なんて、主要な部にプレッシャーをかけ続けていたことを」
「ほとんどの部活が県大会に出場できただろう」
「胃をやられてリタイヤした子もいたわ」
「この程度のプレッシャーに負けるなら、その程度の人間だったってことだ」
「今、少し外道が出てきたでしょ?」
「この程度で外道とは、道を外れてるのは書紀の方じゃないのか?」
「……制服を白い学ランにして、食堂のメニューをカレーうどんだけにする計画をたてていたことも、知っているわ」
「誰がするか。というか、僕にそんな権限はない」
なにより、それは鬼畜外道の範疇に入るのか?
相変わらず僕には意味の分からないことを並べる書紀が、なぜか悔しそうに腕をくんだ。
前の行事と次の行事の、丁度中間にあたる今日。
生徒会室には僕と書紀の二人しかいない。
長机をコの字型に並べた、なんの変哲もない会議室のような部屋だ。
廊下側に「コ」の開いた部分があって、そこにホワイトボードがあるのだが、落書きするのはただ一人、書紀くらいのものだ。
僕は現在、ホワイトボードの正面にある長机に向かい、窓を背にして座っているわけだが、書紀は机の向こう側に立っている。なぜかイライラした様子で。
「それで、何が言いたいんだ、結局」
「あなたが眼鏡をかけていない理由がないと言いたいの」
「僕にも伝わるように言ってくれ」
「あなたは絶対、眼鏡が似合う」
知るか。
「どうして私が眼鏡をかけていて、私より眼鏡が似合うあなたが眼鏡をかけていないの」
知るか。
暴論だ。「論」という字をつけるのもおこがましい。
ただの八つ当たりだ。
「私が眼鏡をかけているより、あなたが眼鏡をかけていた方が学校のためだわ」
「どうして眼鏡が学校に繋がる」
「主に女子が幸せになるわ」
どういう意味だ。とは言わない。
「お前が休日につけている赤ブチ眼鏡を学校でも着用すれば、男子も幸せになるだろう」
「なっ……なんで知ってるのよ!」
書紀の声は裏返っていた。
ズレてもいない眼鏡を直すのも、慌てているときの癖だ。
「やっぱりな、銀ブチなんてお前の趣味じゃないと思ったんだ。キャラ作りでもしてたのか?」
「カマかけだったのね……最低」
書紀が声のトーンを落とす。
副会長でもないのに、校内で〈氷の女王〉などと呼ばれている書紀は、若干クールビューティーを狙っている節がある。
しかし実際はクールというよりもポップ。
ショートカットだがロングヘアーに憧れ、銀ブチ眼鏡をかけているが赤ブチ眼鏡をかけたい、そんなタイプの人間なのだ。
「さて、明日から赤眼鏡をかけてくるのかな? 書紀は」
「嫌よ。あなたが銀ブチをかけなさいよ、会長」
机の上で火花が散る。
無論比喩だ。
「僕は伊達眼鏡をかけても気分が悪くなる体質なんだ」
「視力は?」
「一・〇」
「というか、あなた伊達眼鏡をかけたことがあるの?」
「ない」
書紀の口が引きつっていたが、無視。
それなりに時間を潰したし、書紀の気まぐれにも付き合った。ついでに気分転換もできた。
もう充分だろう。
そう思って、視線を書類へと戻す。
書紀がもぞもぞ動いているのが見えたが、放っておくことにした。
おそらくは、ただ悔しがっているだけだろう。
適当に結論づけて、書類に意識を──
「会長」
呼ばれ、反射的に顔を上げる。
ちらりと見えたのは書紀の顔。楽しげな、満面の笑みを浮かべている。
まずい。思った時には、すでに遅かった。
「────っ」
視界が歪むと同時、頭の奥に鈍い痛みが発生する。
焦点が合わない。世界が霞む。脳が揺れる。
ピントを合わせようとする眼球が、ちりちりと苦痛を訴える。
鼻と耳の上にある違和感から考えると、
「うん、やっぱり似合う」
満足げな声。腕をくんで何度もうなずく様子さえ目に浮かぶ。
犯人は言うまでもなく書紀。
凶器は書紀の眼鏡だ。
視力〇・一以下の書紀がかけている眼鏡を着用すれば、自然とこうなる。
「何して……」
糾弾しようとした言葉は、しかしその途中で切れる。
唇に柔らかい感触。眼鏡を外そうとした手にも、細い指が絡みつく。
「────」
強制的な沈黙が一瞬。
しかし、その後にはただの沈黙が待ち構えていた。
口を塞いでいたものがあっさり離れたのに、僕は言葉を続けることができなかったのだ。
というか、声を発するほど、落ち着いていなかった。
「会長は、私のことをよく知っているようだけれど」
いまだ手首を掴まれている僕の耳に、書紀の囁き声が入りこんでくる。
僕を覗きこんでいるようだが、眼鏡のせいで表情は見えない。
その上──どんな表情をしているのか、予想もつかない。
いつもは分かりやすいくせに。
「私も、あなたのことはよく知っているつもりだからね」
言い終わると同時、手首を解放した指がそのまま眼鏡を掠めとる。
はっ、としたときには、書紀はすでに眼鏡をかけていた。
眼鏡と、その位置を直す手によって、やはり表情は見えない。
「それじゃ、オシゴト頑張ってね。会長」
結局その後、書紀はろくに顔も見せないまま生徒会室を後にした。
それについて、「残念だ」という感情を抱いた脳細胞は、少しくらい死滅してもいいと思う。