耳かき
めずらしいものを見つけた。
一方の先端が曲がった細い木の棒で、もう片方の端には柔らかい綿がついている。
耳かき、だ。
部屋の主についての記憶をさらってみるが、使っている場面は全く出てこない。耳掃除の時は、いつも使い捨ての綿棒を使っていたはずだ。
だとすれば、なぜこんなものが部屋にあるのか。
疑問に思った俺が、掃除の手を止めて耳かきをしげしげと眺めてしまうのは仕方のないことであった。
……別に、部屋の主が耳かき使ってる場面を想像しているわけではない。
むしろ膝枕で耳かきしてほしいなとかそんなことは全く思ってない。
断じてない。
と、脳内で言い訳を並べていると、背後から部屋の主であり耳かきの持ち主(たぶん)であり俺に部屋の掃除を命じた我らが女王サマもとい生活能力ゼロ女の声が聞こえてきた。
「どうしたの。耳かきの曲線に欲情でもしたの」
「心外だ。俺は女体の曲線美にしか欲情しない」
耳かきの綿をぽふぽふ自分の頬に当てながら振り返る。
問題の女は、ソファに足を組んで座っていた。色気もなにもないグレーのスウェット姿。太腿の上のぶ厚い本の終盤近いページを開いたまま、軽蔑の視線は俺に向けている。
……それにしても耳かきの綿ってステキな肌触りだな。ぽふぽふが止まらない。
「サボってないで掃除続けなさいよ、ド変態」
「そんな羨ましげに見るなよ、ぽふぽふして差し上げようか?」
「腐乱しろ」
命令が「死ね」よりもエグいです女王サマ。
まぁ……「死ね」とかそんな命令、この人は俺に向かってしないと思うけども。
しかし、そんなことを言われても疑問なことは疑問なのであって。つまりは、
「つーか、なんで耳かきなんて持ってんの?」
と下僕めは思うわけであります。
グレースウェットの女王サマは本に飽きていたのか、ソファの背もたれに寄りかかりつつ答えを提示。
「私の好きな道具に似てたからだよ」
提示してくれたは良いものの、謎だらけでした。解せぬ。
耳かきに似てる道具ってなんだ。
「好きな道具って?」
「ヒント、古代エジプトで使われてた」
疑問がクイズにシフトチェンジした。
ニヤニヤ笑う女王サマは、どうやら退屈を俺で解消することを決定したらしい。解せぬ。
解せぬけれども答えは気になる。惜しみつつぽふぽふをやめ、改めて耳かきを見る。
耳かきっぽいもの。古代エジプト。女王サマが好きな道具。
……わからん。
「ヒント2、ミイラを作る工程で使用」
さらにわからん。
というか相変わらずステキなご趣味ですね。
「まだわからないの? 額が広いのはただの若ハゲなの?」
「ちょっと待て俺はハゲじゃない! 額の広さも標準だ! そしてこのヒントで分かる人がいたらいろんなものを通り越して尊敬するわ!」
「ふうん。で、わからないの?」
「ごめんなさいわかりません」
正直に述べると、女王サマは大袈裟にため息をついた。
……なんで謝ったんだろう、俺。
俺が自分の言動に疑問を抱いている内に、女王サマは上半身をソファから乗り出して、手近な戸棚の引き出しからなにやら鉄製っぽい棒を取り出した。
細長くて、先端が曲がっている……形は、アルファベットの「J」みたいな感じ。
たしかに似てるけど、耳かきはそんなガッツリした曲がり方はしていない。
なにより、肝心のぽふぽふがない。
耳かきモドキを愛おしげに見ている女王サマに疑問の視線を送ってみる。
と、奇蹟的に気付いてくれたのか、あるいは単なる解答なのかは分からないが、女王サマは耳かきモドキをこう説明した。
「これで、死体の鼻の穴から脳みそを引きずり出すのよ」
思わず自分の二の腕を掴む。寒気が止まらない。
嫌だエグいグロい怖いそういうの苦手なんだって!
というかその前に!
「耳かきをそんな目で見てたのかよっ!」
「用途としては似たようなものでしょ?」
「どこが!?」
「何かを引きずり出すものじゃない。両方」
結論、女王サマの高尚な思考回路にはついて行けません。
いやむしろ、ついて行っちゃダメな気がする。
落ち込んだ気分を慰めるためにぽふぽふを再開する。あ、なんか落ち着くコレ。
「この無駄のないフォルム。機能美ってホント素敵」
女王サマの御言葉を聞き流しつつ、ぽふぽふの精神安定作用に甘える。
落ち着いてみれば、俺は掃除の途中であったことを思い出した。作業に戻ろうと、体の向きを直そうとしたところで、
「そういえば、あなたの脳をかき出したのも、コレだったわね」
女王サマの一言で再度、寒気が走った。
ぞわぞわっ、と背中から首に駆け抜けていった悪寒に、身震いせざるをえない。
「そういう話はちょっと……」
「あなたはエジプト様式を使ったからね。心臓以外は全部抜き取ったわ」
「グロだけは! グロの話だけはヤメテ!」
「確かキッチンの床下収納にパーツごとに瓶詰めして」
あーあー聞こえない聞こえない。
とりあえず耳を塞いであーあー言っておけば女王サマも飽きるだろう。あーあー。
そんで、床下収納は絶対に開けないことをここに誓う。あーあー。
念のため読唇もできないように、女王サマに背中を向けておこう。あーあー。
……あれ? でもこれじゃ掃除できなくね?
「こら、主人の声は余すことなく聴かなきゃ駄目でしょ?」
後ろから手首を掴まれた。
見るまでもなく、犯人は女王サマだ。
両手を頭の高さに上げた降参のポーズを強制的にとらされた結果、鼓膜はばっちり無防備だ。聞きたくないことまで聞こえてしまう。
「あー、なんかお腹空いてきちゃった」
なんていう、わざとらしい話題の切り替えも。
「床下収納に買い置きのパスタあるから、カルボナーラ作ってくれない?」
「……了解しました、死霊術師サマ」
暴君の遠慮容赦ない勅令も。