HAGANE 刀人血風録
牛頭に埋め込まれた百眼がぎょろりと動いて的を捉える。
しかし、視界は斜め。
切り落とされたからだ。頭部より下の身体右側を、まるごと切り落とされたからだ。
痛みはなかった。というと語弊がある。正確には、痛みはあるが、感じる暇がないというのが正しい。
牛頭の化物には感情がない。
そういう生き物だから。感情を与えられていない、ただの化物という定めを仰せつかっていたから。
だが、土崩瓦解。
丑の刻。自身の力がもっとも本分に近づく宵闇の中、変貌した蜘蛛の豪脚を横たえ、牛頭の化物は震えていた。
百眼に映る景色に。
自分の目の前にいる、自分よりも遥かに小さき人間の女の姿に──恐怖していたのである。
参刻前
「隣町が潰れたらしいなぁ」
甘味処の軒先の席にいる男が、先ほど読売から購入した瓦版をながめながら呟いた。
瓦版には、こう書かれている。
昨日真宵、端志麻(はしま)の町が全壊の被害に遭った。
生存者はおらず、家畜も同様に全滅に至ったと思われる。昨夜は天候に乱れはなく、端志麻近隣の千途川の氾濫期も半月ほど前に終わりを迎えたばかりで、水害の線は全く以ってないと言える。
原因の究明については今以って検分中である。が、妙なことに類似した被害案件がすでに三件あり、関連性の有無を明確にするためにも、早期の決着が求められている。
この瓦版は目撃者からの証言を元に書いているのだが、その目撃者が妙なことを喚いていた。
化物が出た。使いが来た。と。
返す返す、原因の究明については今以って検分中。町の消滅はいわずもがな深刻な問題である。一刻も早い決着が叫ばれている。
また、今回の事件を受け、帝都は十二天の投下を採決した。
「怖い、怖い」
と言葉を連ねるも、記事を読む男の表情は穏やかなもので、串だんごを咀嚼しながらの呑気なものだった。
まるで他人事。
実際、他人事。
瓦版伝いの時事だから、男は噂話程度にしか捉えていない。事実、瓦版は真実を伝えることもあれば嘘八百のでっちあげを流布することもあるから、話半分で読むのが正しいところだった。それが真実味たっぷりに書かれていれば尚のこと。丁寧に化物の挿絵まで描かれてあるから、滑稽なことこの上ない。
「──ちょっと良いかい。そこの瓦版読んでるおじさん」
不意に、甘味処の店内から声。
それに気付いて男が振り返ると、奥の座敷に声の主がいた。
女。
黒髪の女。
女にしては見栄えのしない地味で薄い着物を身に着けていて、首には黒い布を巻いている。
齢二十くらいだろうか。若くはあるが、纏った雰囲気が若者のそれではなかった。落ち着いている。ひどく落ち着いていて、そして僅かに気圧される。
その雰囲気もさることながら、しかし特筆するべきところは別にもある。
腕。
右腕。
袖口から見える右腕が、まるごと包帯で覆われている。手指一本一本まで丁寧に、である。
そして壁に立てかけられている、刀。
黒鞘の本差。鞘の長さから見るに、刀身の刃渡りは通常規格を大きく上回るものと思われる。ちらりと見ただけでも分かる。男は、自分が腰に差した物と女の刀は、全く違う得物だということを直感した。
「おじさん、瓦版に描かれてある挿絵の特徴を、読み上げてくれるかい?」
言われて男はたどたどしく特徴を挙げる。
一、化物は牛頭を持つ。
一、化物は強靭な両腕を持つ。
一、蜘蛛の豪脚で地を駆ける。
一、体躯は一山ほどある。
「分かったありがとう、もういい。はあん。こりゃあ今回は当たりかな」
そんな風に一人で納得する女。
男は不思議に思って、
「な、何がだい?」
と聞いた。
「何がって、そりゃあ、一山は大げさすぎるにしても、その化物は『三尸(さんし)』でまず間違いないだろうってことさ」
「…………三尸?」
首を傾げる男に、女は、そう、と短く応じて言う。
「糞ったれの天帝が放った、糞ったれな蟲だよ」