りあじゅう
「は?」
カフェのテラス席に座っていた千石原朔(せんごくばらさく)は、反応の仕様もなく、どうしようもなく、ほぼ反射的に間抜けな声を吐き出した。
無理もない。
それもこれも、全てはテーブルを挟んで向かいの席に座っている少女が放った一言があまりにもアレだったからである。
現在三月も下旬。高校第三学年への進級を前に、心機一転、部屋の掃除やら模様替えやらの作業に勤しんでいた千石原。その息抜きに茶でも飲むかと外出したのが運の尽き。
こんなことなら大人しく家でコーヒーを淹れてるんだった。
そんな風に後悔しながら、しかしうなだれるでもなくため息を吐くでもなく、千石原はカップを持った状態から微動だにしない。動くことができない。
それだけの衝撃だった。
千石原の真正面にいる少女、もとい第二学年時のクラスメイト、東堂名月(とうどうなつき)は、呆ける千石原をよそに、本日二度目となる言葉をゆっくりと紡いだ。
「私を飼えばいいじゃない」
吹き抜ける風が満開の桃色を揺らす。
テラス席から見える景色は桜、桜、桜。
ひらひらと舞い散る花びらが、まるで狙いを定めたかのように千石原のカップに落ちた。
シャツの上にパステルカラーのニットセーター(水色)。白っぽいショートパンツの下に履いたトレンカは短足効果があるものの、しかしもともと全体的に線の細い体躯で脚は長いから、どこか艶っぽく、また大人っぽい印象を受ける。
東堂名月。
第一学年から第二学年。二年間同じクラスだったショートボブの女子。
その女子から「私を飼えばいいじゃない」と言われると相当くるものがあるし、穿った見方をすると擦れているとも言える。
言えるのだが。
誤解なきよう、また彼女の名誉を守るために明言しなければならない。
東堂名月はそんな人間ではない。
冒頭で今日この日の出来事を後悔している風なことを千石原は嘆いているが、実際のところそこまでのことは思っていない。むしろ春休み中に東堂名月と会うことができて嬉しく思っているくらいだった。
「えっと……ああ、わかった。東堂、それ新しいネタだろ」
ようやく脳みその回転を再開した千石原は言う。
「え? あ、うん。まあ、そんな感じ。この春休み中に思いついてね。本邦初公開、先行公開ってやつですな」
「はあん」
適当に相槌を打って千石原は「じゃあ」と続ける。
「もう一回やってみようや。次はうまく返すぜ」
「ほう。しかし千石原くん。これ、言う方はけっこう恥ずかしいんだよ」
「まあ、そうだよな。同級生の女子に言われるとかなりくるモンがある。俺なんて反応に困ってろくな返しもできなかったしな。私を飼えばいいじゃない……改めるとスゲエ語感だ」
犯罪性すら感じる。ひしひしどころかばしばし。
「お前に言われると尚更だな」
「どゆこと?」
「あ? いやそりゃお前、だって仲のいい友達からそんなこと言われたら戸惑うだろうが」
「ふーん。じゃあ、三浦くんから言われたら?」
「殺す」
三浦くん。
千石原の幼馴染の男子である。
千石原の反応に、東堂は苦笑いを浮かべながら言う。
「極端だなぁ。三浦くんだって仲のいい友達でしょーに」
「違う。あいつは友達だが同時に宿敵でもある。あいつがポケモンの新作を買えば俺も買って通信対戦でぶちのめす。あいつがモンハンを買えば俺も買ってボウガンで狩りの邪魔をする」
「要するに仲良しなんだね」
「否! 断じて否!」
「うーん。でもその辺に生じる差異ってなんなんだろうね」
「ん? 差異?」
「そ。えーっと…………千石原くんは、男女の友情って信じる派?」
「何言ってんだよ。信じるも信じないも、俺とお前の間に友情は成り立ってるじゃねえか」
当たり前のように千石原は言う。
千石原と東堂。
同じクラスで第二学年後半は席替えをしても隣同士で、普段からこのような会話を繰り広げている。それもすべてはお互いの意思疎通がうまくいかなければ成り立たない。お互いがどの線まで踏込み、感覚を共有できるか。それを弁えているか。
「私もね、信じる派だよ」
もちろん、と東堂は言う。
「でも、男女の友情には先がある」
「…………先?」
東堂は少し下を向いて千石原の言葉に応える。
「……恋人関係、とか」
男女間の友情。
その先。
たしかにそれは、あり得ることだ。
現代社会においては、同性間恋愛というのはあまり良くない。主に体裁の面で。その考えからいくと当たり前だが当たり前のように異性間恋愛が正しいというような認識が生まれる。
しかし恋愛とは、感情である。
感情であり、感情の在り方だ。
そこに内包される想いというのも人それぞれで、それが例え性的な欲求であったとしても至極真っ当であり、憧れや尊敬からくる羨望であったとしても至極真っ当である。考えや思想の同調もしかり。
好き。という感情を律儀に分別するのが人間だ。それは本能であり、自己防衛本能の末端でもある。
好きである理由を開示しようとしたとき、好きであるから好きなのだという人は、結局誰でも好きなのと同じだ。と半可通ぶって説く人間が世の中には大勢いる。が、それはいささかどころか破滅的に暴力的な言葉だ。
好きかもしれないと思い、好きなのかと疑い、なぜ好きなのかと悩んだ時点でそれは好きであると断言して間違いではない。
結局のところ、理由なんてどうでもよくて、答なんてないから。
恋愛とは、感情である。
感情であり、感情の在り方だ。
そこに内包される想いというのも人それぞれで、それが例え性的な欲求であったとしても至極真っ当であり、憧れや尊敬からくる羨望であったとしても至極真っ当である。考えや思想の同調もしかり。つまりは、
「千石原くん、大事なお話があります」
少し下に向けた顔を持ち上げ、意を決したように東堂は言う。
「仲良しな私たちですが、もっと仲良くなりませんか? ええっと、つまり──」
好きかもしれないと思い、好きなのかと疑い、なぜ好きなのかと悩んで、答は出なかったけどやっぱり好きだと確信する。
「私を飼えばいいじゃない」
照れからなのか、東堂の締めの言葉が若干おふざけっぽくなってしまった。しかし、そこは以心伝心とでもいうべきか、最初に気付くべきではあった。東堂が言った一度目の『私を飼えばいいじゃない』の時点で、彼女がお互いの意思疎通から一歩踏み込んで喋っていたことに。
それを踏まえて千石原は応える。
「飼わない」
でも、
「付き合おう。フツーに」
男女の友情は確かにあるけれど、その先もある。
そんな話。