うつ

「やり直せ。今すぐに、だ」

「やる気あんのかよ」

内線

「これでプロジェクト潰れたらどうすんだよ」

「あーあー、今日も残業かなー? かなー?」「うげ。計算したら労働時間やばくね?」

「なんであいつが任されたの?」「前回はラッキーパンチが出たってこったろ?」内線

「部長の推薦らしいぜ」「あちゃちゃちゃー。これはブチョーの立場も危ういんじゃなーい」

「ねえ、そういえばさ」「ええー?」「うそ、マジで?」「西川さんの奥さんと」内線「きも」

内線内線「なんか噂になってるよねー」「顔だけでしょ」内線「それで選ばれるから得だよな」

「それってマジなの?」内線内線内線「不倫してんだって」内線内線内線内線内線内線


「使えねえなぁ…………お前さぁ……もう辞めたら?」


   *


 熱量なんて、産まれる時に子宮に置いてきた。

 はずなのに。

 ああ。頭が痛い。

 俺の身体は風熱だか知恵熱だかに見舞われているらしい。身体が恐ろしく重い。手足を動かすのがやっとだ。この、亀の歩みみたいなノロノロ鈍行じゃあ家に着くころには日付が変わっている。

 まあ、俺の帰りを待っている人なんていないから、どれだけ遅くなったとしても、どれだけ不定期な時刻に帰ったとしても関係はない。自分の睡眠や食事の時間が削れていくだけ。ただそれだけのこと。

 幸か不幸か、最近の俺は眠くならない。腹も減らない。人が恋しくなったりもしない。

 だから、衣食住のプライベートタイムがどれだけ削られたとしても別段支障はない。楽しくはないが。

 しかし不思議なことに渇きを感じない。

 満たされているわけではないのだが、欲する事がなくなった。何に対しても、だ。

 これから俺は、ダメを出された企画書の再作成をしなくてはならない。

 評価が欲しい? 違う。

 存在を示したい? なんの意味がある。

 他を出し抜きたい? ナンセンスだと思う。

 会社のため? 誰がこんな糞会社。

 では? 一体何がために?

 思うに俺は、この生活がルーチンワークになっているんだろう。

 叱責を受け、疎まれ、ありもしない言われを受け、蔑まれる。

 これが俺の生活。

 安寧秩序。

 楽しくはないけれど。

 ああ、身体がしんどい。

 いま上がっている陸橋を超えれば家まであと少し。

 やっとこさ一番上まで上がりきり、ふと視線を下に落とす。

 陸橋下は線路が広がっていて、残りの本数が少なくなってきている電車が丁度走り抜けていくところだった。

 夜の帳が落ちた線路は暗い。吸い込まれてしまいそうになるくらい、暗い。

『使えねえなぁ…………お前さぁ……もう辞めたら?』

 帰り際、二週間前まで俺を可愛がってくれていた先輩が吐き捨てた言葉を思い出す。

 もう辞めたら。

 もしも辞めたら。

 安寧秩序を抜け出すことができたのなら。少しは楽しくなるのかな?

 直後、おれは陸橋から飛び降りていた。幸か不幸か、頭から落ちたのに意識はハッキリとしていて、だけれど首から下は動かなかった。

 後頭部に電車のレールのひんやりとした感触が。

 藍色の空に瞬く星と、横から迫ってくるライトと、甲高い警笛がやけにウザったかった。


   *


 適正個体ノ回収ヲ終エマシタ。

 四肢損傷。内臓破裂。修復ハ不能ト判断。然レドモ頭部二損傷ハ無シ。

 海馬ノ萎縮率カラ、適性理論値ニ達シテイルと思ワレマス。依ッテ、再生プログラムヲ施行シマス。遺伝子情報ヨリ採取シタ情報ヲトレース。胴体ヲ形成。

 承認ヲ確認。

 適正個体『司馬永時(しばえいじ)』、エンバーミングヲ開始シマス。

 良イ朝ヲ迎エラレル事ヲ。