アフター*ダーク 狐のお面

 新東京市・新東京駅


 駅内にあるバスターミナルから各方面の最終便が出ていく。

 電車の方にまだ少し本数的な余裕はあっても、駅から遠い所に住む人間が利用する足は限られてくる。

 駅の外。駅舎に接続された階段を降りたところにあるタクシー乗り場には、長蛇とまではいかないが、列ができていた。

 しかし、駅前を埋め尽くす膨大な人流が薄れることはない。むしろ徐々にその数を増し、目まぐるしく入れ替わり立ち替りを繰り返している。

 二三時三〇分。

 現在時刻を鑑みるとそれはあたりまえのことで、日常的なことで、普遍的なことだった。


 簡潔に言えば現実世界の人間が、ここ仮想現実世界にログインしているということだった。

 空に浮かぶ満月。駅の近くに並ぶビル群。点灯させたテールランプが連なる道路。そして道を行き交う人々。

 目に映る物、触れる事ができるモノ、それらすべてがデータ。

 アフター*ダーク。

 それが、この世界を支配するXRMMОの名称である。

 ただ、これをたかがゲームと思って侮ると、痛い目にあう事になる。

 例えば、安易に悪事に手を染めてしまったり、「絶対に関わってはいけない人間」の存在を知らなかったりした場合は最悪だ。

 とは言っても、全ての事を注意、回避することは不可能。

 残念ながら、今夜も「絶対に関わってはならない人間」に関わってしまった人間がいるようだ────


   *


 金属製のダストボックスの蓋がコンクリートの床に落ち、廃材やゴミが放置された裏路地を転がった。

 そこを駆け抜ける男が一人。

 裏路地を狭める廃材に身体をぶつけ、息も絶え絶えに、時折うしろを振り返りながら暗い道を疾走する。

 固く握りしめた手には灰色のUSBメモリが。

 このメモリが何なのか、男には分からなかった。

 男はただ依頼を受けただけ。開業して間もないが、内容を問わない運び屋として依頼を受けただけだった。

 その依頼が危険だということは、男自身、分かっていた。なにせ、たかだかUSBメモリを運ぶぐらいで依頼主は報酬として一千万を支払うというのだから。

 それでも男が依頼を受けたのは、生活に困っていたことに他ならない。

 アフター*ダーク内で取引された金銭(ゲーム内マネー・円)は通常、ゲーム内でしか使えない。使えないのだが、現実世界のオークションサイトでリアルマネーでの取引が横行している現状がある。

 会社を解雇された男の財産は少なく、アフター*ダークで得たゲーム内マネーを現実世界で売りさばくことで、なんとか生計を立てていた。

 そんな男の元へ巨額の利益が得られる可能性が出てきたのだ。飛びつかない訳がなかった。

 しかし、聞いていない。

 男には聞いていない事があった。知らされていなかったことがあった。

 がつん、と路地に転がった廃材につまずき、男は派手に転倒。そのまま地面を這いずりながら、なんとか主道に出た。

 辿り着いた主道には多くの人間の姿が。

 男は近くにいたサラリーマン風の男にしがみつき、半ば叫びながら。

「なあ、頼む、頼むよ! 助けてくれ! 俺は逃げなきゃならねえんだ! こんなところで、こんなところで終わる訳には……!」

 その直後だった。

 男の奇行にざわついていた周囲のどよめきが止む。

 恐いくらいの静けさが辺りを支配し、鳴り出した横断歩道のアラート「かごめかごめ」が妙に存在感を主張する。

 その横断歩道の中心。

 人が捌け、後は車道の信号がが青になるのを待つだけの道に、それは居た。

 黒いワークパンツとワークブーツ。同色のパーカーのフードを被った全身黒づくめの人間。

 ただ一つだけ、顔を覆う狐面の白だけが異彩を放っていた。