詠唱・炎
警告・直ちにフィールドアウトを実行してください_
深刻なダメージを確認、失血量が許容の限界を突破します_
神経系のレスポンス低下を確認、意識レベル低下から強壮物質の生成を停止_
生命活動停止の危険あり_
繰り返します_
深刻なダメージを確認、失血量が許容の限界を突破します_
神経系のレスポンス低下を確認、意識レベル低下から強壮物質の生成を停止_
生命活動停止の危険あり_
警告・直ちにフィールドアウトを────────
『SeeYou』
画面に文字がポップアップするのを確認してから、井坂は、電源を切った携帯端末を適当に放り投げた。
普段は軽々と起こすことが出来る身体が、鉛のように重い。
血流にのって体内を駆け巡るナノマシン数億機の力をもってしても、腹に空いた風穴を治癒するには至らなかった。元より、治癒力の向上というのは副次的でしかない事ぐらい井坂も分かっている。
魔力精製。
それが、ナノマシンが有する本来の性能である。
遥か昔、神がまだ大地にいた頃にあったとされる今は失われし技能「魔術」。
それを行使するため、中世欧州人は錬金術によりホムンクルス──現代風に言い直すとナノマシンの製造を突き詰めた。
ナノマシンは単機では活動できず、何かに取りつく事によって真価を発揮する寄生虫だ。人間でいえば血液。つまり、多量に血を流してしまった井坂は、ナノマシンの総量も低下しているのだった。
システムリンクしていた携帯端末を手放した今、魔力の残量を正確に測る事はできないが、身体の感覚からいって残りが少ないのは明らか。
ようやっと身体を動かし、瓦礫だらけの床を這うように進み、崩れた柱に背を預ける。
少しだけ身を乗り出して柱の向こう側を見てみれば、自分をここまでの状態に至らしめた原因、黒の巨躯があった。
猛禽類の翼のような勇猛な六枚翼。直立して白亜色の床を踏みしめる二本の豪脚。組んだ腕は筋骨隆々で、蜥蜴の頭に埋め込まれた眼球には虹彩も瞳孔もなく、感情を読み取ることができない。
今は失われしスラヴ神話に生きる魔術神ジルニトラ。
井坂は彼に用事があってロシアにまで足を運んだ。正確に言えば、彼が持つとされる「蘇生の秘術」を持ち帰るのが目的でウスペンスキー大聖堂に来ている。
ジルニトラの眼が無言のうちに語る。
その程度か? 人間。
その無言の声にすら感情がないように思える。
彼は、ジルニトラは、一体、井坂の何に対して言葉を向けたのか。
所詮は機械に頼らなければ魔術を再現できない人間の非力さに対しての言葉。
──……違う。
魔術神に単身で挑んできた人間の弱さに拍子抜けしての言葉。
──……違う。
弱者を嘲笑っている。
──違う……!
足りないからだ。
思いが。感情が。何がなんでも「蘇生の秘術」を手に入れ、持ち帰るという思いが。
命を賭す。ということではない。目的のものを手に入れ、生きて帰らなければ意味が無い。特攻という思考だけでは届かない領域がある。身をなげうってしまっては得られない未来(さき)がある。
その未来に足を踏み入れる事が、お前にはできるか?
井坂は問われている。思いの先に何があるのか。生を保ち、欲する物を手に入れるという人間の強さを。逃げない強さを。
身体が軋んだ。
血が溢れた。
掌に灯した魔術の炎で傷を焼いた。
速度上昇魔術を解除。防護魔術も同時にデスペル。ナノマシンが持つ視覚野拡張の補助効力をシャットアウト。
小細工は無し。対峙。二本の脚で今を踏みしめろ。
そして──燃やせ、その感情までも。
井坂が魔力の錬成を始めると同時、足元が黄金色に発光。併せて錬成反応である上昇気流が吹き荒び、フード付のマントの裾が暴れた。
補助魔術に回していた魔力が相乗され、風は更に暴れ狂う。
井坂の詠唱が始まる。
「──西の空に沈む希望を視とめろ! 夕闇の儚げな残滓を思い留めろ!」
自身が持ちうる全ての魔力を練り上げ、重ね、加速させ。
「燃えるような朱がそこにはあるはずだ! 忘れがたき郷愁の鐘の音が聞こえるはずだ!」
詠唱とは、魔術を発動させるためのロジックである。
紡がれる詩が長ければ長いほど、その魔術は強大なものとなる。
「目をつむるな刮目しろ! 追懐の時を偲び、猛る火炎をその身に刻め!」
込めた感情を具現するかのように。
「──『エンペドクレスの炎』!」
直後、虚空が瞬間的に明滅し、大爆発が巻き起こった。
魔術神の加護を受けている神殿内が爆風と爆炎に巻かれ、内装が吹き飛ぶ。しかし、魔術の効力はそれだけに留まらない。
爆発後に発生した火炎の竜巻が四つ、ジルニトラを取り囲み、せめぎ、焼き尽くす。
大魔術『エンペンドクレスの炎』。
井坂の詠唱は全編五番中たったの一番のみ。手負いの井坂には、一番を詠うのが限界だった。