やすみじかん
『どーげん、おなかすいたのよー』
はたと力ないソプラノの声が聞こえてきたのは、教室を出てすぐ。後ろ手に扉を閉めた直後の事だった。
音源である足元を確認してみれば、等間隔に配置された天井のLED照明によって浮き上がる俺の影から白髪頭の幼い少女がひょっこり顔を出しているのが見えた。
燃えるような緋色の瞳は半開きで活力がなく、気怠そうだ。
まあ、腹が減っているという事らしいからそんな顔になってしまうのは仕方のない事なのだろうが、ちょっと待て。
「……おいミリア、お前、さっき俺の弁当食ってなかったか?」
『ふぬ。からあげとたまごやき、非常に美味だった。しかしあの程度の分量であたしのおなかを満たそうなど笑止千万。片腹いたいのよ』
笑いが止まらねえのか嘲笑い過ぎて腹が痛えのか、どっちなんだよ。
というか、ふざけんな。
他人の昼食を早ベンしておきながら、足りんからもっとよこせだと?
どうやらこの少女、傲慢ながらも気高き焔の化身ミリア・フェニックは、俺を貧窮に貶め、餓死させるのが目的らしい。
高尚な不死鳥の末裔が聞いて呆れる。
仮にも不死鳥の血を引いているのなら、腹が減ったぐらいでどうなる事もないんじゃないのか?
『どーげんどーげん、おーなーかーすーいーた』
「三限の休み時間で昼飯奪われた俺にはもう何も残ってないの」
『はーげんはーげん、お昼ごはん』
「買って来いってか? 一個二百円は下らない高級アイスを買って来いってか」
『もう! じゃあ何だったらいいのよ!』
逆ギレかよ。キレたいのはこっちだよバカヤロー。
『道元! じゃあ焼きそばパンでいいから! 譲歩するのよさ!』
するのよさ! ってお前なァ……。
まあ、ここでミリアの状態を完全に近づけておくのも、ひょっとしたら良いことなのかもしれない。なにせこの昼休み、五十分間、安らぎのひと時に、俺は熱血バトル漫画よろしく血みどろな死闘を繰り広げなければならないからだ。
しかし十七にもなって決闘を申し込まれるなんて。しかもこのご時世に。
時代錯誤にも程がある。拳で語り合うなんて程度が低すぎる。ただ、時にはそういう原初のやり取りが必要になるという事もまた事実だと俺は思う。
特に今回のような場合であれば──個人が持ちうる美学または思想に相反する者が干渉してきた場合であれば──もっと詳しく言えば、大切なもの〈人〉を傷付けられた時は、拳を振るう事もやむなし。
『時に道元。あきな嬢の具合はどうなのよ?』
「義姉貴なら問題ねえ。検査結果も正常だ。ただ、それがあいつを許していい理由にはならねえ」
ごそりとポケットを探ると何枚か重なっている硬貨に指が当たった。しばらく弁当男子としての本領を発揮しなければならなくなりそうだが、パンを買う金は──辛うじてありそうだ。
「ミリア、焼きそばパン一つぐらいなら買ってやるよ。……で、どれだけ動ける?」
『それはカロリー的な意味か?』
「義姉貴の為に死ねるかって意味だよバカヤロー」
しゅるり、とミリアが俺の影から這い出る。
ミリアは華奢な肢体を伸ばしてから俺の腹直筋を殴って言った。
『愚問なのよさ。百回死んでもおつりとオマケがくる』
俺たちはそのまま真っ直ぐに伸びた廊下を進む。
行先は旧校舎第二体育館。
ひと気の少ない肝試しスポットは絶好の戦闘場だ。
途中、新校舎と旧校舎を繋ぐ石廊下から見える大時計が、十二時五十五分を指しているのが覗えた。