三 日・沈む
声すらあげる暇もなく、肺の中の空気はまとめて吐き出される。草のはえた地面に背中をしたたかに打ちつけ、空気を欲した肺腑が痙攣。二、三度咳込む。
〈悪使い〉と〈悪堕ち〉の違いが、ここにきて明白になった。〈悪〉の力を身の内に封じながら戦うものと、封じこんでいた〈悪〉が解放され暴走したもの。どちらの方が戦いに特化しているかという問いに対し、議論の余地はあるだろうか。
〈悪堕ち〉は、追撃することもなくシルヴィを見下ろしている。赤い目に弱者をもてあそぶ愉悦をたたえ、獲物の抵抗を待っているようにも見える。
シルヴィの中で、熱量が膨れあがる。内側から身を焦がすような激情。それが怒りなのか悔しさなのかも自覚しないまま、シルヴィは立ち上がって〈悪堕ち〉と再度対峙する。
一瞬とはいえ、酸素を失った体は強い脱力感に包まれている。たった一撃でこれならば、これ以上の戦いを乗り切ることはかなり難しい。もとより、シルヴィは精神的にも不安定な状態だ。
いつ心が折れ、〈悪堕ち〉と化してしまうかも分からない。
「それでも、私は……」
シルヴィは拳を握りしめ、大きく膝を曲げる。
〈悪使い〉と〈悪堕ち〉、二対四つの赤い瞳が視線を交わす。意志をかためた視線と、残虐に笑う視線が混じりあう。
「あなたを超える!」
直後。シルヴィの足が踏み込みの一歩を炸裂させた。
握りしめた拳は、〈悪堕ち〉の下腹部を抉るように軌道を描く。右肩まで響いた手ごたえに、シルヴィは確かな手応えを感じていたが、〈悪堕ち〉の表情からはダメージなど全く感じられない。