Scene.3 薄れゆく仮面
詩織にとっては確実に「知らない男」だろうし、私からしても得体の知れない男。彼に抱く感情が「恋」だと仮定すると自殺さえ考えたくなってしまうが、他の誰とも違う特別な存在であるのは間違いない。
私のどす黒い本性を見抜き、認め、受け入れたもの。
世界は広いといえど、オクルスのような存在と出会える確率は低いだろう。人間は文明と社会を作り、生きてきた。殺人鬼など、それらを全て否定したような存在だ。
だから私は、本性を隠して生き通すつもりだった。
オクルスと出会うまでは。
彼は私に赤い仮面を与え、殺人を依頼した。標的の情報は異様なほど細かく提供され、私には下見の必要すらほとんどない。その上、赤い仮面はたやすく私の本性を解き放つ。
私を支配しているのは、オクルスか、赤い仮面か、どす黒い本性か──それすらも、どうでもいい。
本性の解放はあまりにも甘美だ。私は中毒患者のように殺人を続けるだろう。
しかし、オクルスから次の依頼はない。
やめるなら、今だ。
遠くへ行ってしまいそう、と告げた詩織の顔を思い出す。色を飛ばしてしまうほど強い光が、かげった瞬間も。
オクルスと詩織。対照的な二人が、私の中で大きな存在になっている。
付き合う相手として見れば、オクルスよりも詩織の方がいい──はずだ。ただ、詩織と永遠に一緒にいられるかと問われたら、軽々しく頷けない。
殺しを知ってしまった以上、詩織のいない世界で灰色の仮面を被り続けるなどおそらく不可能だ。そんな状態で生きるのは、私にとってリスクが大きすぎる。
そしてなにより、浮ついた大通りのあちこちに、警官の制服が見えている。
オクルスに指示されるまま、私はこの近辺で殺しすぎた。連続殺人などとは報道されていないが、凶器が同一であるのだから犯人もそうだと思って捜査をしているはずだ。
彼らは私を、私の持つナイフを追っている。
バッグの持ち手を握り直して、それだけに留める。
灰色の仮面をつけ直すのは慣れている。息を長く吐き出せば、私の表面はすぐに平静を取り戻した。
警官の前を通りすぎて、自分の「これから」を思う。
将来について考えるのは、初めての経験だった。灰色の仮面を維持するので精いっぱいで、私にとっては現在を平穏に過ごすのが一番難しかったのだ。
軽率だったな、と今更ながら思う。選択肢は、オクルスにとって都合のいいものしか存在しない。私が初めての殺人を犯した時点で。
しかし、当時の私を責められるはずもない。今の私だって、依頼されれば名前も知らない誰かを殺すだろう。
私が詩織を捨て、オクルスを選ぶのも時間の問題だった。
それを悲しいと思うことすら、私には許されていない。