第一章 城塞の町
触れあっている場所から、柔らかな熱がグレンに伝わってくる。兵士から向けられた不信感も、そこから生まれた不満も、クローディアから流れてくる『薄い水色』がすべて消し去ってしまった。
不快ではない。グレンが「嫌なこと」を感じるたびに、クローディアは不思議な色で「嫌なこと」を押し流してしまうのだった。
「兵士の人たちが緊張してるってことは、あんまりよくなかったみたいね」
言葉を選びながら、クローディアは自らの予想を口にした。
「フリーデンが他国を攻めるようになってから、エル・プリエールはずっと領地を失っているし……ここは城塞都市だから、国境線が近付いてる今はいつもこうなのかもしれないけど、でも」
周囲に聞かれないようにするためか、クローディアはほとんど囁くように言う。
「それならもっとフリーデンの侵攻に敏感になっているはず。私たちのことを門前払いするような、素っ気ない態度はとらないんじゃないかしら。もっと別のことがあるのかも……国の偉い人が来ている、とか……?」
そうしながらも、足の運びによどみはない。クローディアは石造りの建物で固められた都市の中心部から、どんどん離れるように道を選んでいる。ゆるやかな坂になった通りを下り、市民の生活が営まれる周縁部へ。
攻めにくい、入り組んだ道であるにも関わらず、程なくして市場へ出た。周りの人々に物々しさはなく、昼時とあってその数も多い。
手を引かれるままだったグレンは、首を傾げて問う。
「……なぁ、クローディア。お前この町来るの初めてだよな? なんでそんなに道知ってんの?」
「人の多い方に進んだだけだよ? ……お腹すいたでしょ。なにか買おうよ」
フードを押さえて、クローディアはなんでもないことのように言う。
そして二人は、人でごった返す通りへ足を踏み出した。
歩くのも困難、という程ではないが、農村のリヤンとは比べ物にならない人の数だった。その割に、すれ違うのはほとんどが若い男性で、女性や老人、子供の姿は見当たらない。
アルミュールは敵国の国境に近い城塞都市で、いつ戦場になってもおかしくはない。となれば、血気盛んな若者や、戦地近くで商機を狙う商人ばかりになるのは当然だった。
そんな状況だったから、だろうか。
人混みの中に埋もれそうな背丈のクローディアが、青果店の店主と目を合わせてしまったのは。
「────っ!」
「おぉ、お嬢さん! 素敵な色の目だなぁ。まるでマナみたいだ」
慌ててフードを引っ張り目元を隠したクローディアに対し、店主は何事もなかったかのように話しかけてきた。
男の広げる商品の前は、周囲の店に比べて立ち止まる人の数が少ない。野菜類よりも果物を多く置いているようで、戦地近くの住民にはあまり興味を持たれていないらしかった。
他の商人よりも視線を向ける位置が低かったのは、売れ行きが思わしくなかったからなのかもしれない。
店先に並ぶ果実の中から鮮やかな桃色のものを掴み、店主はここぞとばかりに売り文句を並べ始める。
「もう手に入らないかもしれないリシェス地帯のマナだ! 新鮮だから果汁たっぷり、そのままでも焼いてもうまいぞ!」
「うーん、おっちゃん、悪いけど、いま探してんの昼飯なんだよなぁー」
フードを下げて顔を隠すクローディアに代わり、店主に応対したのはグレンだった。
「俺たちここ来るの初めてでさ、どっかいい店ない?」
「あー、今から飯屋入るのは難しいだろうなぁ。ちと待ってな──おい! こっちの兄ちゃんが飯探してるんだと!」
「おぉ! んじゃあうちのパニーノで決まりだなぁ。ついさっき焼いたばかりのパンに、新鮮な野菜! 兄ちゃん、うちに決めていきなよ」
「もちろんマナも買ってってくれるよな?」
隣の店まで巻き込んで、青果店の主が桃色の果実を突きつける。
ひるんだグレンが思わず背後のクローディアを見ると、かすかにうかがえる口元は困ったような笑みを浮かべてから降参の問いを投げかけた。
「ええと……合わせて、いくらになりますか?」