人形職人の国:1
人形職人の国には、見たこともない武器を持った少女がいる。
少女は凄腕の人形職人で、自作の人形をオリジナルの武器に作り変えてしまった。
けれど、彼女は満足していない。
新しい人形のモデルを探して、今日も人形職人の国をさまよっている──
*
嵐が過ぎ去ったのかと錯覚した。
天国か、あるいは地獄すら幻視した。
その幻覚を与えたのが年端もいかない少女であることが、なおさら現実味を感じさせない。
デュランダル・オンラインは、プレイヤーの体格に合わせてステータスが設定される。
少なくとも、今まで男が──平野誠二(ひらの せいじ)が出会ってきたプレイヤーは、その制約の中で戦っていた。
平野自身も、もちろんその制約からは逃れられない。
不正なログインルートからゲームにアクセスしているビジターとはいえ、ゲームの世界のステータス決定権は運営にある。
ならば、この現状は。
生活に必要な最低限の筋肉しかついていなさそうな少女が、平野を含めた数名のプレイヤーを一度に戦意喪失せしめた現状は、夢か。幻か。
ただし、この痛みは。
少女が放った斬撃による裂傷と、吹き飛ばされた衝撃で受けた打撲の痛みは、紛れもない現実である。
「今日も絶好調だねぇ、D-001」
上機嫌に言うと、少女は槍を振って血糊を払った。
槍、という言葉は、彼女の得物を表すのには弱すぎるかもしれない。柄の長さや刃の形は確かに槍のそれだが、刃の大きさが異常だ。戦斧やハルバードと言った方が近い。
少なくとも、ようやく十歳になりそうな少女が扱えるようなシロモノではない。
どころか、筋骨隆々の大男でさえ、扱いはかなり難しそうだった。
「少しは馴染んできたかな? んん? きちんと共存してくれよD-001。私は、人間の自我が適合外の『不滅の欠片』とどう作用しあうのかを客観的に見たいんだ。簡単に負けてもらっちゃあ困る」
少女は語る。
けれども、その言葉のほとんどは、場を共有する者に通じなかった。
彼らの理解を妨げているのは、その言葉の選び方ではない。
身を苛む痛覚などでもない。
自分より上位にいる存在を──天敵を前にしたときの恐怖が、聴衆全ての耳を余すところなく塞いでいた。
平野を含めた敵対者全員が立ち上がらずにいるのを見て、少女は笑みを深くする。
「おやおや今日のオーディエンスは模範的だね? 私の話が終わるまで待ってくれるとは……ま、その調子で聞いていってくれたまえ。私も手を出したりはしないから」
こんなはずじゃなかった。と、少女以外の全員が思っているだろう。
平野たちはただ、噂を聞いてこのエリアに立ち入っただけだ。
──人形職人の国には、見たこともない武器を持った少女がいる。
確かに、その噂は真実だった。
けれど、噂から推測した憶測は、致命的に外れていた。
「お前っ……ビジターじゃなかったのかよ……!?」
特別招待枠──ビジター。
彼らは(自ら望んではいないものの)不正規ルートからログインしているプレイヤーである。
ビジターに分かりやすい共通点はない。
出生、容姿、性別、年齢、なにもかもがバラバラで、事実、平野のパーティは「ビジターでなければ関わらなかっただろう」と全員が認めている。
ただ一つ。
共通点とも言えない、不確定な要素の一つとして、疑似デュランダルという特殊な武器を持つことが多いということがあげられる。
だから、噂に聞いた「見たこともない武器」が疑似デュランダルなのではないか──と、推測したのだが。
平野の言動に気分を害した風もなく、少女は槍を後ろ手に持ってゆったりと答える。
「エージェントに向かって不正プレイヤーだなんて、失礼な」
その言葉で、平野とその仲間に動揺が走る。
故意ではないとしても、ビジターは不正プレイヤーだ。そして、エージェントは運営サイド、つまるところ不正プレイヤーを規制する側の人間。
今のところ、平野の元に「運営に相談したら救済措置を受けた」などという情報は入っていない。
むしろその逆で、運営に接近したビジターが失踪したり、酷いときは周辺人物までいなくなることもしばしば耳にした。
可能ならば近づきたくはない。──近づきたくはなかった。
「ま、大方、噂を聞いてやってきたというところ? 仲間がいるって思ったのかな? そういう風に群れたがるところは、嫌いじゃないが」
それに、と少女は続ける。
両手を背後にまわした、隙だらけの姿勢で。
「推測は間違ってない。私のD-001は、私の疑似デュランダルだ」
にやにやと、幼い容姿に似合わない笑みを浮かべながら。
「D-001は元々プレイヤーでね。記憶を弄って、体も作り変えて、『不滅の欠片』を埋め込もうとしたら、どうしたことかその『不滅の欠片』が疑似デュランダルになってしまったんだよ。私の、ね」
少女の演説は、段々とおぞましさを増していく。
聞いてはいけない。このまま全てを聞いてしまえば、おそらくこの場にいる人間は──と、平野が動こうとしたときには、すでに遅かった。
体が動かない。言うことを聞かない。
「D-001は適合外でもこうやって疑似デュランダルの役目を果たせている。であれば、君たちはどうだろう? 適合が確定している疑似デュランダルを、ビジターの体に埋め込んだら……?」
見ると、平野の仲間たちも自身の体の異常に気付いたようだった。
恐怖の表情を浮かべ、自分の体を見下ろしている。しかし、その手足は一ミリも動いていない。
「逃げようとしているなら、やめた方がいい」
少女は笑う。
罠にかかった獲物たちを蔑むように。
「教えてあげよう。私のメインスキルは【誓約】。宣言した禁忌を守っている間、ステータスが上昇するというものだ。そして、エージェント専用スキルは【同調】。ビジターに対し、メインスキルを共有することができる。私たちは今さっき、『私の話を聞いていって、互いに手を出さない』という誓約を立てているんだよ」
余裕の表情を浮かべる少女に対し、平野の仲間はさらに戦意を削がれたらしい。
けれど、平野は聞き逃さなかった。幾分冴えた頭で少女の言葉を反芻する。
逃げようとしているなら、やめた方がいい。と彼女は言った。やめた方がいい、ということは、【誓約】は絶対ではないということだ。破ることができる。
辛うじて手に持ち続けていた武器を握りなおす。
まだ可能性はある。まだ逃げられる──と、平野が足に力を込めた瞬間、
ゴキリ、と骨の砕ける音がした。
平野の右足から。
「────っ、あ」
灼熱。
痛覚が再び意識を占領する。
「あああああああああああああああああああああ!!」
「言っただろう。やめた方がいいって」
肩をすくめる少女を見る余裕は、平野にはない。
なんの予兆もなかった。
予想も予測もしていなかった痛覚を、受け止めることができない。
外的要因はなかったにも関わらず、平野の右大腿骨は確かに折れている。恐怖に縛られ、動けないまま、ただ喚くしかない。
そのさまが、仲間にさらなる恐怖を植えつけるということを理解していても。
「【誓約】はね、守っていればステータスが上昇するが、破ってしまえばそれに応じたダメージを負うようになっているんだよ。動かない、手を出さないってことはステータス上昇の意味がないが、その分、かなり上昇率が高いらしくてね。骨の一本や二本はぽっきりイっちゃったかな?」
さらに追い打ちをかける少女が、ビジターたちを精神的に縛りつける。
たとえ打ち勝っても、肉体的に勝つことすらできない。足を折られてしまえば、どちらにせよ逃走は不可能なのだから。
もう逃げられない──絶望的な確信を、さらに後押ししてしまう声が、少女以外にもう一つ。
「すいません雨宮(あまみや)所長。遅れました」
平野の背後から聞こえてきたのは、男の声だった。
少女に向かって敬語を使うような歳には聞こえない、中年男性のような低い声だった。
さらに絶望を深めるように、数人の足音も伴って近づいてくる。
「本当に遅かったね滝瀬(たきせ)研究員。説明を要求する」
「対ビジターの拘束具が、研究所にあった分だと足りなかったんです。で、よそに無理言って貸してもらいました。どっちにしろ作り変えちゃえば必要ないかと思いまして」
「ふむ。……まぁ嬉しい誤算か。貴重な検体がこれだけ用意できたんだから。二人……いや、一人くらいは本部にあげてもいい」
平野の手足に冷たく重い拘束具が取りつけられていく。
逃げ場のないストレスが、脳に収まりきらずに内臓へ干渉。吐き気となって平野を襲う。
自分たちはこれからどうなるのか、考えることすらやめたかった。
しかし。思考は止められても、耳からの情報は止められない。
楽しそうに語る少女の声は。
「それじゃ、適当に連れて行って適当に処置してくれ。疑似デュランダルを持ってるやつは一人、本部に送っちゃっていい。で、その辺が終わったら、とりあえず一例試してみる。ビジターに疑似デュランダルを入れてみよう」
「その前に、D-001のクールダウン忘れないでくださいね。所長、たまに素で忘れてますからね」
「分かった分かった。手洗いうがいクールダウンな」
ふざけた調子で語る声に、和らいでいるのは研究者のみ。
もはや被検体となることが確定したものたちは、ただ震えることしかできない。
「それじゃ──はい、これで私の話は終わり。オーディエンスのみなさまは、各位自由にしてくれたまえ」
少女の言葉で、【誓約】は解けた。
しかし、それよりも重い枷が、ビジターたちを捉えて離さなかった。
*
人形職人の国には、見たこともない武器を持つ少女がいた。
少女は人形のモデルを求めて、フラフラと国をさまよっていた。
けれど、それはもう過去の話。
彼女はすでに人形のモデルを見つけて、どこかへ行ってしまったらしい──