アヴァロン:1

    プロトコルを確立します_
    適応するインターフェイスの特定は完了、最適化処理中*****
    ■■■■■■■■■■■■■■100%
    『ダイブ』は問題なく正常に動作を開始しました_


 網膜に焼きついた閃光が薄れ、三鷹直基(みたか なおき)が目にしたのは幾本も立ち並ぶ木々の幹だった。

 まばたきを繰り返してみるも景色は変わらず、現在位置が深い森の中だという事実は重ねて脳に叩き付けられる。そもそも森の中にいること自体がおかしいのだが、直基の見る限り、ここは林業のために育てられた「日本の森」というより、多くの月日を生きてきた「西欧の森」のようだった。

 実際にそういった森に入ったことがあるわけでもないし、そもそもヨーロッパの地を踏んだこともないのだが、直基自身が映画やテレビなどで間接的に得た情報からすると「西欧の森」という言葉はこの森にとても似合っていた。

 そこらに見られるねじれ曲がった木は、どう考えても林業には向いていない。人が頻繁に踏み入っている様子もなく、地面には下草が生え放題なうえに苔まで貼りついている。代わりに、別の生命の気配ならばどこからも漂ってきて、葉や枝が揺れるたびに見たこともない色彩の生物を目にすることができた。

 直基は、本当に驚いたときには何も声を出せないことを初めて知った。喉までせり上がった声は口の中でとどまり、うめき声すらあげられずに体が停止する。いっそのこと奇声でもなんでも出せてしまえば楽だったのだろうが、実際に残ったのは妙な息苦しさだけだ。

 努めて冷静に、言ってしまえば現実逃避のように思考を回転させていると、直前まで自分の部屋にいたということを思い出す。

 就寝前、ベッドに寝転がりながらスマートフォンをいじっていたところまでは覚えている。しかし、メールチェックとネットサーフと……と、いくつかの操作を思い出している内に、だんだんと記憶が薄れていくようだった。最終的に記憶はぷつりと切れて、この森へ至る。

 となれば、これは夢だろうか? 手を出してみようかと思い始めているオンラインゲームの公式サイトの内、どこかで見た世界観にでも影響されたのだろうか?

 疑問のような現実逃避は、感覚器官によってことごとく無効化されていく。森の空気も、触れる木の幹も、腐葉土の香りも、単なる記憶の再生とは思えないほどに──濃い。

 だからといって、日本にある一般家屋の一室から西欧の森に移動してしまうなど、どう考えてもあり得ないのだが。

「おや」

 唐突に──本当に唐突に、幼い少女の声だけが直基の耳に飛び込んできた。

 下草や枝をかき分ける音すら、聞こえない。急いで、というより反射的に振り返ってみると、声の主とおぼしき少女は中空にふわりと浮いていた。

 ゆったりとした服をまとった、尖った耳を持つ少女だった。背中からは氷のような、砕けた水晶のような物体が生えている。無機質な翼は特に動く様子もなく、しかし少女は眉ひとつ動かさずに空を飛んでいた。

「まだこんな場所におったのか。はて、さほど離れてはいないはずなのだが……ぬし、何かに呼ばれただとか、どの方向に進みたいとか、そういう感覚はないのかね?」

 古臭い口調で問う少女に、直基はただ首を振って答えるしかない。

 この状況は異常も異常。どこへ向かいたいとかいう具体的な願望はないが、ともかく部屋に帰りたいというのが直基の紛れもない本心だった。

「……はて」

 困ったように、少女は首を傾げる。

「もしかすると、ぬしがここを出発地点としたのはただの偶然かの……? 否、試してみる価値は」

 少女はふわふわと移動し、直基の隣を通り過ぎて木々の間をぬうように進んでいく。ついてこい、と言われたわけではないが、人の言葉が通じる相手が一人しかいない現状、直基は頼る相手を選ぶことができない。

 草をかき分け、枝を避けるたびに極彩色の生物が視界の端を横切っていく。真新しさよりも不気味さの勝る──節ごとに色の違うムカデだとか、全ての足の長さと太さが違うクモだとか──生物を見ている内に、直基はその全てに注意を向けないよう気をつけるはめになった。

 何度も悲鳴をあげそうになりながら、半ば涙目で少女の後を追う。ようやく少女が立ち止まった──というよりは「浮き」止まった場所に追いつくと、息つく間も与えずに少女は短く問うた。

「感じるか?」

 何を──と、問い返す暇もなかった。直基の表情を見て判断したらしい少女は、もう一度「はて」と首を傾げてしまう。

 直基の見る限り、そこは多少木々の密度が薄いだけの、ちょっとした空間でしかなかった。中央に石段のようなものがあり、その上でツタが何かに巻き付いている以外は、さして周囲と違うところなどない。

「ぬしよ。ここには剣が刺さっておる」

 少女に言われてみれば、なるほど、ツタの絡まっている「何か」は「剣」に見えないこともない。わずかに空いた隙間からは、さびついた金属を覗き見ることができた。

 ただし、石段に刺さる剣から連想する「伝説の剣」には似ても似つかない。RPGなんかでよく見るそれは、どれだけ年月が経とうと美しい姿を維持し続けていたはずだ。

「王の剣は、王が持つからこそ王の剣となる」

 少女はこぼすように言葉を連ねていく。

「ぬしがこの剣に惹かれぬというのなら、ぬしはこの剣を選ばず、この剣はぬしを選んでいないということだろう。ぬしは別の剣を選び、別の剣がぬしを選んだということ。そうでなければ、ぬしが体ごとここに飛ばされる理由がない」

 直基が意味を飲み込むより早く、少女はくるりと向き直った。

 中空から直基を見下ろし、厳かに述べる。

「ようこそ、デュランダル・オンラインへ。ビジター・三鷹直基。われはモルガン・ル・フェ──帰るべき地に足をつけたいのならば、われの剣の導きに従うがいい」