ガルドロ平原戦線:1

 祈りの地は徹底的に破壊されていた。

 平原を見下ろすように建つ教会は、石造りであるにも関わらず燃え盛る炎に蹂躙されつくしている。多くの人々が集まったであろう聖堂は、もはや生物すべてを拒む炎の支配域。揺らめく赤に目を奪われると、夏の虫でなくても飛び込んで行ってしまいそうなのが不気味だった。

 放っておくといつまでも見つめてしまいそうな炎から目を反らし、貝橋京太(かいばし けいた)は改めて周囲の惨状を確認する。

 小さな石を積んで作られた低い塀は、一部を残して崩されている。整えられていたであろう芝生にも面影はなく、抉られ、掘りおこされたような戦闘の形跡を刻み付けられていた。

 同じように辺りを見渡しているのは、京太と同じシティ・ギルド〈円卓の騎士〉に所属し、今は共にパーティを組んでいるメンバーたちだ。

 他の人影は、一つもない。

 芝生に倒れ伏した敵対プレイヤーは、痛みの許容量の限界を迎えて強制ログアウト対象となった。教会内にプレイヤーが残っていたとして、今の状態では彼らも同様の扱いとなっているはずだ。

 ヒトの意識をゲーム内に投影するデュランダル・オンラインでは、この強制ログアウトが死亡、あるいは戦闘不能の扱いとなる。リアルタイムで二十四時間のログイン制限がかかるため、オンラインゲームのデス・ペナルティとしてはかなり重い方だろう。

 逆に言えば、勝者には戦闘終了後、ある程度の安全が与えられる。敗者が強制ログアウトをうけたのち、即座にログインしてリベンジするという手法が使えないからだ。

 周囲に人の気配はなく、ここに向かってくる人影も見えない。

 京太の率いるパーティは、一時の安全を確保できたと言える。

「今度こそ、勝てそうだな」

 メンバーの一人が、興奮を抑えきれずにそう言った。

 今度こそ。そう、今度こそ、だ。

 彼らの所属するシティ・ギルド〈円卓の騎士〉は、とあるシティ・ギルドと敵対関係にある。

 〈マリス=ステラ教会〉。

 もちろん、京太の目前で燃え盛る教会を所有する組織が、これである。

 二つのシティ・ギルド間では定期的にギルドメンバー限定のコード・リファレンス──通称ガルドロ平原戦線──が開催されており、その結果がギルド内ショップの充実などに影響を及ぼしている。

 ここのところ、〈円卓の騎士〉は〈マリス=ステラ教会〉に敗北し続けていた。

 なんでも、本隊に先だって陣地を確保していたパーティが一瞬で壊滅したり、たった一人のプレイヤーによって複数パーティが抑えられたり、ということが重なって負けに繋がっていたらしいのだが、京太は実際に見たことがないので真偽に関してはどうとも言うことができない。

 その上、敗北原因となってしまったパーティのメンバーたちが「もうあんな目に合うのは嫌だ」と言ってガルドロ平原戦線への参加を拒否したり、あげくの果てには〈円卓の騎士〉から脱退したりという事例まであるというから、こちら側の戦力不足は加速するばかりだ。

 ──一回でも勝てれば。

 大規模な対プレイヤー戦においては、現実世界とそう変わらないほどに多くの要素が絡み合う。戦力差、陣形、個人の能力、指揮系統。見直せるだけ見直して、今可能な最高の状態でこの日を迎えた。

 主戦場となっているガルドロ平原を見下ろせば、遠目からでも〈円卓の騎士〉が押しているのがうかがえる。

 とはいえ、このまま何もしないで戦況を見守る、なんてことをしても意味はない。まずは本隊と連絡をとり、どの位置に、どのタイミングで戦線に参加するか決めなければならないだろう。

 京太は懐から携帯端末を取り出し、一時切断していた〈円卓の騎士〉専用の通話機能を再接続する。スピーカー部分を耳に当てたところで、

 鋭い破壊音と共に、教会の扉が内側から弾け飛んだ。

 二メートルを越える大きさの分厚い木材が吹き飛び、近くにいたメンバーから悲鳴があがる。その重量も、勢いも、内側にへばりついた炎も、割れた木材の断面に並ぶ棘も、一人二人を強制ログアウトさせるには十分なものだ。幸い直撃したものはいなかったが、目を走らせただけでも何人かの負傷者は出ているらしかった。

 端末から聞こえるこちらへの問いに答える暇は、ない。

「教会内だ! 全員構えろ!」

 号令をかけると同時、京太自身も端末を操作。結局何も伝えることなく通話機能を切断し、幾度となく繰り返したコマンドを入力する。


   *


   心拍数、血圧上昇_
   脳内特定物質の分泌を確認_
   以上の点からマスターが戦闘状態にあると判断、闘争モードに移行中_
   **********
   バトル・アバタ―セットアップが完了しました_

   闘争を開始します_


   *


 端末の機械音声は、教会の周囲に散らばるメンバーの元からも聞こえてきた。

 槍や剣の近接武器を中心としたパーティを見渡し、自身も長槍と盾を構えながら、京太ははたと思考に気をとられた。

 このパーティに、メイジタイプのプレイヤーはいない。敵の拠点とはいえ、この教会は小さく、少数対少数の戦いになると思われていたからだ。

 実際、その読みは大きく外れることなく、教会の制圧は完了。であるが、だとすると。

 ──教会を焼く炎の火元はどこだ?

 もちろん、こういった建造物の照明であれば、燭台に刺さったろうそくなのだろう。しかし、そんなちっぽけな火が石造りの建物を焼けるかといったら、そんなことはない。

 ぞ、と寒気が背中を這いあがる。

 ガルドロ平原は、定期コード・リファレンス限定のエクストラ・エリアだ。よって、ここにいるプレイヤーは、〈円卓の騎士〉か〈マリス=ステラ教会〉に属しているということになる。

 〈円卓の騎士〉のメンバーの同行なら、京太もある程度は把握している。少なくとも、この教会を襲撃するのはここにいるものだけで行われるはずだ。

 仮に、炎に巻かれたと思われていた教会が、〈マリス=ステラ教会〉のメイジタイプ・プレイヤーによる偽装だとすれば──

 戦闘の準備など、とうに終わっていると考えていい。

「ハン、なんだこれっぽっちか。ぎゃーぎゃー騒ぐから何かと思ったら、高みの見物決めこんでるバカどもをやっつけにきた少数精鋭サマじゃねーか」

 はたして、炎を背に現れたのは一人の少女だった。

 影のような修道服のなかで、金の前髪と白い肌が浮きあがっている。表情こそほとんど浮かんでいないものの、幼さの残る顔立ちは整っていて、確かに教会で祈りを捧げる姿はさまになりそうだった。

 しかし、そのイメージをぶち壊す要素がいくつか存在する。

「ちょっと手ぇ抜いた方が貢献ポイント稼げるかーとか思ってただけだっつーのに。やっぱ煩悩とやらは捨てとかないとダメってか」

 一つは、その言葉。

 見た目に似合わぬ荒々しい言葉選びが、通常のそれよりも聞くものに刺さる。

「で、情けねぇことにこっちサイドは全滅かぁ? まぁ当然と言っちゃあ当然だが、なんだ」

 次に、その表情。

 憤りも哀れみも嘲りも浮かべない顔は、少女の本性を相手に悟らせない。

「そんだけやってくれたってことは──あんたらは、あたしを楽しませてくれるんだよなぁ?」

 最後に、その得物。

 肩に担いだ木製の十字架は、少女の身の丈を優に越えている。

 ふらり、と歩み出た修道服の少女に対し、京太をはじめとする〈円卓の騎士〉は動くことすらできずにそれぞれの武器を握りしめる。自分と同じかそれ以下の年に見える少女であったが、放つプレッシャーが同年代の比ではない。

 聖職者にはもっともふさわしくない言葉ではあったが──それは大型の肉食獣が放つものによく似ていた。

 教会から少し前に出たところで、少女は体を揺らしながら十字架を地面に突き立てる。重い音があたりに響き渡ったと思うと、その直後、屋根の上に掲げられていた鉄製の十字架が少女の背後に落下した。

 地面が揺れる。

 一歩の距離に迫った死にすら、少女は動じない。鉄と木、大と小の十字架に挟まれたまま、ただ前方に掌を向けた。

 少女の口が動く。

「〈魂を捧げたわれらが主に乞い願う──われらが敵に、火と硫黄の裁きを〉」

 言葉に応えるようにして空に浮かぶ火球を目にして、ようやく京太は思い出した。

 ランキング第九百三十一位にして、このゲームで関わってはいけないプレイヤーの一人。

 『火刑執行人』の異名を持つ黒い修道服の少女の存在と、その名を。

「いくぞクソヤローども、火炙りの時間だ」

 御加瀬紫音(みかせ しおん)。

 彼女の戦場には、火の海しか残らない。