シーンD
強靭な脚がキメの細かい砂を蹴り飛ばす。
埋もれる間もなく、沈む間もなく。
踏み出す脚は走力に特化した豪脚。しかも、ここ砂地での走りを最も得意とする。
黒毛に覆われた身体で風を切り、夜闇より深い残像を撒き散らしながら驀進する様は、まさに『疾風』と形容するにふさわしい。
たとえ二枚の翼に空を飛ぶ力が無くとも。
黒曜鳥のゲイル。
推進力を奪われる劣悪な足場を炸裂させながら、黒の疾風はガランジャ砂漠・王家の谷を走り抜ける。何かから逃げるように。いや、これでは語弊がある。
彼「ら」は適当に拓けた場所を目指していた。
切り立った崖により形成された王家の谷は、一本道ではない。まるで侵入者を阻むように複雑に入り組んだ天然の迷路だ。
加えて谷合であるからその狭さといったらない。
道幅は目測推定一〇メートルはあると思われるから、全長たかだか二メートル程度のゲイルが通るには十分な広さと言える。ただ、追跡者の事を考えるとまったく別の話になる。
その事を思考するのはゲイルではなく、彼を駆る人間ではあるが。
「──ソル!」
ゲイルの手綱を握る人間──外套を被った人物がちらりと振り返り、砂塵防護ゴーグル越しに後方を確認して咆える。
それに応えるようにゲイルが、迫る分岐の右に突入。
直後、数十メートル背後で大量の砂が炸裂。砂中から巨大な蟲が姿を現した。
砂をつかむ六脚は、ゲイルと同じくその煩わしさをものともしない。起伏の激しい歪な身体は僅かに差し込む月明かりでヌラヌラと光り、禍々しい棘の付いた鋏のような顎は、視た者を畏怖させる。
猛る砂漠の王、ダンタリアンの追跡。後方から吹き付ける風は、獰猛な殺意を孕んでいた。
その風を感じながらも、黒の疾風を駆る人間は指示を飛ばしていく。冷静に、的確に。
そして、
「オング!」
指示に応えたゲイルが直角に進路を左へ切り返すと、その先には藍色の空が。
ついに出口までたどり着いたのだ。思わず、小さく安堵の息を漏らす人間。しかしゲイルの嘶きが人間の気を律する。
反射的に背後に視線を走らせると、ダンタリアンが跳躍、谷の一部を強靭な顎で砕きながらこちらに飛び込んでくるのが目に入った。
油断。
一瞬で肝が冷える。背筋を悪寒が駆け上る。呼吸停止。瞠目。
どうする。回避。間に──
瞬間、人間の身体が自身の意識に反し、慣性の法則に従って大きく左に振れた。
ゲイルだ。指示を省略し、回避行動を自己瞬決したゲイルが爆裂的な脚力で右方の虚空へ跳躍したのだ。
そして着地。
遅れて轟音。ダンタリアンが、誰も居なくなった地面へ突っ込んだ衝撃が砂漠に響き渡った。
人間はゲイルの首を撫でながら体勢を整えるダンタリアンを視とめ、ポケットに忍ばせた端末の機能を静かに切り替える。
Durandal On-line!!
Waiting**********
────O.K Standby!!
水平に持ち上げた手に長槍が出現。
形状的には騎乗時による突撃力に特化した突撃槍。
光沢の無い鈍い黒が、夜闇の中でくっきりとした存在感を放つ。
心拍数、血圧上昇_
脳内特定物質の分泌を確認_
以上の点からマスターが戦闘状態にあると判断、闘争モードに移行中_
**********
ゴーグルのシステムを解放、及びスキル『雷電』のロードが完了_
バトル・アバタ―セットアップが完了しました_
闘争を開始します_
*
ダマ城下町の朝は早い。
行商たちが各地の特産品を並べる簡易テントが、町の入口から伸びる通りに所狭しと乱立していた。
その通りを抜けた先にある巨大な広場。町民が構える大型の店が並ぶ主要な商業区域に、酒場がある。
しかしただの酒場ではない。
世界に点々と存在する職業組合の一つ、ギルド『砂の掃除屋』。広大なガランジャ砂漠一帯を取り仕切る大型ギルドが入った酒場である。
本日のカウンター当番を任されたひげ面の中年アルフレッドは、新規に配布されたクエストの書類の枚数を帳簿につけながらため息をつく。
どうせ今日は暇だ。
なにせ、北方にある機械都市で緊急クエストがあると先ほど通達が来たばかり。
本来なら一〇時には酒場を出て、溜まった仕事を消化しなければならないのだが、よりにもよって受付嬢のマリアージュが急に産気付いてしまうとは。
仕方のない事ではあるが、仕事は溜まってしまうし……なんだかやりきれない。
せめて今日の分だけでも他のスタッフに分散できるよう、ギルド長に言ってみよう。ダメ元で。そんな感じでなんとか事態を飲み込もうとするアルフレッドだった。
ややあって酒場の扉が開いた。
砂まみれの外套を着込んだ人物と黒い鳥の組み合わせ。
「おお、シャノンじゃねーか。ゲイルは店に入れんなって言われてんべ」
すまん、とでも言っているのかゲイルが小さく鳴く。
砂埃を落とすように促してもみたが、外套の人物シャノンはあろうことか屋内で砂を落とし始めた。
それについて言及しても「知った事か」といった様子でまったく言う事を聞かない。シャノンはフードを外しながらどっかりとカウンター席に腰を下ろし、ゴーグルをずらして言う。
「え? ごめん。耳に砂つまっちゃって。ああっと、そうだ。これ」
少女というには雰囲気が少し大人びているか。
「ダンタリアン。倒したよ」
戦闘の腕前もまた、少女というには少々強すぎる。